近隣(チカドナリ)の翁の訪来(トイキ)て、都は花の真盛(マサカリ)ならむ、一とせ京都(ミヤコ)の春にあひて、嵐の山の花をきのふけふ見し事あり、何事も花のみやこ也とて去ぬ。
数多杵(アマタギネ)てふものして餅搗(モチツキ)ざわめきわたりぬ。
けふも祝ふ事あり。
日暮(ヒクレ)れば某都(ナニイチ)某都(クレイチ)とて両人(フタリ)相やどりせし盲瞽法師(メシヒノホフシ)、三絃(サムセム)あなぐりいでてひきたつれば、童どもさし出て、浄瑠璃(ゾウルリ)なぢよにすべい、それやめて、むかし/\語れといへば、何むかしがよからむといふに、いろりのはしに在りて家室(イへトジ)のいふ、琵琵琶に磨碓(スルス)でも語らねか。
さらば語り申(モフ)さふ、聞たまへや。
「むかし/\、どつとむかしの大(オホ)むかし、ある家に美人(ヨキ)ひとり娘(ムスメ)が有(アツ)たとさ。
そのうつくしき女(ムスメ)ほしさに、琵琶(ビハ)法師此家(ヤ)に泊りて其母にいふやう、わが家には大牛の臥(ネタ)ほど黄金(カネ)持たり。
その娘をわれにたうべ、一生の栄花見せんといへば母の云やう、さあらば、やよ、おもしろく琵琶ひき、八島にてもあくたまにても、よもすがらかたり給へ。
明なば、むすめに米(ヨネ)おはせて法師にまゐらせんといふを聞て、いとよき事とよろこび、夜ひと夜いもねず、四緒(ヨツノヲ)もきれ撥面(バチメム)もさけよと語り明て、いざ娘を給へ、つれ行むといふ。
先(マヅ)ものまゐれ、娘に髮結(カミユハ)せ化荘(粧)(ケハイ)させんとて、磨碓(スルス)をこもづゝみとして負せ、琵琶法師の手を引かせて大橋を渡る。
娘は、あまり負たる俵の重(オモ)くさふらふ也、しばらく休らはせ給へと、休らひていふやう、いかにわがおやのさだめ給ふとも、目もなき人の妻となり、世にながらへて、うざねはかん〔うめき見んといへる事也〕よりは今死なんとて、負ひ来つる台(シタ)磨碓(スルス)をほかしこめば、淵(フチ)の音高う聞えたり。
女は岩蔭(イハカゲ)にかくれて息(イキ)もつかずして居たり。
かの琵琶法師ひとりごとして云やう、あはれ夫婦(ウバオチ)とならむよき女(ムスメ)也と聞て、からうじて貰(モラ)ひ来りしものをとて、声をあげてよゝとなき、われもともにと、その大淵に飛込(コミ)て身はふちに沉(シヅ)み、琵琶と磨臼(スルス)はうき流て、しがらみにかゝりたり。
それをもて琵琶と磨臼の諺(タトヘ)あり。
とつひんはらり」
と語りぬ。
廿二日 六日入(前沢町川岸場)にいたる。
明なば、あるじ常雄、仙台にとみなる事とてたびだち、畠中ノ忠雄がりとひ、松島にも行かまくなンどかたりぬ。
うまのはなむけとて人々酒飲む。
言の葉の色をりそへてひろはなむまがきが嶋の梅の花貝
花の波こゆてふころもきさらぎの末の松山たのしからまし
と書てあるじに贈る。
また行道といふ人もぐして行ければ此行道にも、
言の葉も今ひとしほの色そはむ帰さのつとをまつしまのうら
かくてくれたり。
廿三日 つとめて常雄、こまの荷鞍の旅よそひして、行道をいざなひて行ぬ。
旅立の跡寿(アトフキ)とてまた盃とりぬ。
此人々の語るを聞ヶば、此ほど白鳥村(前沢町)にて狢(ウジナ)の仕態(シワザ)にや、家のうちとに銭を雨のごとくふらせ、さま/″\あやしきことあり。
また母体(モタヒ)(前沢町)の観音堂の、うゝと呻吟(ウメク)音(コエ)し、また鳴動(ナリウゴカ)せり。
これも貉(ウジナ)のなす事にやなンどあやしみてかたりぬ。
そは、いにしへもさる事あり。
『文徳天皇実録』の中に、天安元(八五七)年のころ六月六日、参河ノ国の庁院のひんがしの庫振リ動シ事見えたり。
またそのおなじとし(六月三日)、
云々と見えたり、その寺、極楽寺はいづこならむかし。
けふもくれたり。
廿四日 けふ村上良知のもとに行とて、童にみちあないさせて、かたらひつゝ行に、此ころふりし春雪とともに去年の真雪(サネユキ)も消えて、道のぬかりて、ありきつらしとて芝生に腰うちかけて休らふに、兎ひとつ飛出(トビデ)てはせ行を見て童の云ク、むかし田螺(タツブ)が歌をかけたり、
「旭さすこうかの山の柴かぢり耳がながくてをかしかりけり」
とよみたれば兎、
「やぶしたのちり/\河のごみかぶりしりがよぢれてをかしかりけり」
と返歌せしなどかたりもて、午の貝吹くころ徳岡につきたり。
廿五日 あしたより空うら/\と長閑なるに、鶯のこゑだに聞ぬなンど、うたものがたりのふみどもくり返し見つつ、そが中に、
「ふる里に行人あらばことづてむけふうぐひすのはつ音きゝつと」
源兼澄卿のよみ給ひしは、正月ノニ日逢坂にてと聞え給ひしをなンど語りつつ、
鶯のはつ音も花もにほはぬに春はなかばも過んとすらむ
けふはなめて、菅神に手酬(タフケ)奉らむ梅さへ咲かでをろがみ奉る也。
三四日、ことなければ日記もかゝず暮たり。
三十日 忠功寺なる玄指といふ僧(ホフシ)、去年の霜月身まかれり。
けふなんその百日斎忌(モゝカノトフラヒ)とて法のわざあるに、
遠ざかる日数ももゝの花かづらかけてやよひの空に手向む
良道の歌に、
冬がれの梢の霜とかれし身もつるのはやしの花やしのばむ
きさらぎもけふにはつれば、あすのやよひは、ことふみにしるす。