晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

かすむこまかた11 菅江真澄テキスト

近隣(チカドナリ)の翁の訪来(トイキ)て、都は花の真盛(マサカリ)ならむ、一とせ京都(ミヤコ)の春にあひて、嵐の山の花をきのふけふ見し事あり、何事も花のみやこ也とて去ぬ。

数多杵(アマタギネ)てふものして餅搗(モチツキ)ざわめきわたりぬ。

けふも祝ふ事あり。

日暮(ヒクレ)れば某都(ナニイチ)某都(クレイチ)とて両人(フタリ)相やどりせし盲瞽法師(メシヒノホフシ)、三絃(サムセム)あなぐりいでてひきたつれば、童どもさし出て、浄瑠璃(ゾウルリ)なぢよにすべい、それやめて、むかし/\語れといへば、何むかしがよからむといふに、いろりのはしに在りて家室(イへトジ)のいふ、琵琵琶に磨碓(スルス)でも語らねか。

さらば語り申(モフ)さふ、聞たまへや。

 

「むかし/\、どつとむかしの大(オホ)むかし、ある家に美人(ヨキ)ひとり娘(ムスメ)が有(アツ)たとさ。

そのうつくしき女(ムスメ)ほしさに、琵琶(ビハ)法師此家(ヤ)に泊りて其母にいふやう、わが家には大牛の臥(ネタ)ほど黄金(カネ)持たり。

その娘をわれにたうべ、一生の栄花見せんといへば母の云やう、さあらば、やよ、おもしろく琵琶ひき、八島にてもあくたまにても、よもすがらかたり給へ。

明なば、むすめに米(ヨネ)おはせて法師にまゐらせんといふを聞て、いとよき事とよろこび、夜ひと夜いもねず、四緒(ヨツノヲ)もきれ撥面(バチメム)もさけよと語り明て、いざ娘を給へ、つれ行むといふ。

先(マヅ)ものまゐれ、娘に髮結(カミユハ)せ化荘(粧)(ケハイ)させんとて、磨碓(スルス)をこもづゝみとして負せ、琵琶法師の手を引かせて大橋を渡る。

娘は、あまり負たる俵の重(オモ)くさふらふ也、しばらく休らはせ給へと、休らひていふやう、いかにわがおやのさだめ給ふとも、目もなき人の妻となり、世にながらへて、うざねはかん〔うめき見んといへる事也〕よりは今死なんとて、負ひ来つる台(シタ)磨碓(スルス)をほかしこめば、淵(フチ)の音高う聞えたり。

女は岩蔭(イハカゲ)にかくれて息(イキ)もつかずして居たり。

かの琵琶法師ひとりごとして云やう、あはれ夫婦(ウバオチ)とならむよき女(ムスメ)也と聞て、からうじて貰(モラ)ひ来りしものをとて、声をあげてよゝとなき、われもともにと、その大淵に飛込(コミ)て身はふちに沉(シヅ)み、琵琶と磨臼(スルス)はうき流て、しがらみにかゝりたり。

それをもて琵琶と磨臼の諺(タトヘ)あり。

とつひんはらり」

 

と語りぬ。

 

廿二日 六日入(前沢町川岸場)にいたる。

明なば、あるじ常雄、仙台にとみなる事とてたびだち、畠中ノ忠雄がりとひ、松島にも行かまくなンどかたりぬ。

うまのはなむけとて人々酒飲む。

 

言の葉の色をりそへてひろはなむまがきが嶋の梅の花

 

花の波こゆてふころもきさらぎの末の松山たのしからまし

 

と書てあるじに贈る。

また行道といふ人もぐして行ければ此行道にも、

 

言の葉も今ひとしほの色そはむ帰さのつとをまつしまのうら

 

かくてくれたり。

 

廿三日 つとめて常雄、こまの荷鞍の旅よそひして、行道をいざなひて行ぬ。

旅立の跡寿(アトフキ)とてまた盃とりぬ。

此人々の語るを聞ヶば、此ほど白鳥村(前沢町)にて狢(ウジナ)の仕態(シワザ)にや、家のうちとに銭を雨のごとくふらせ、さま/″\あやしきことあり。

また母体(モタヒ)(前沢町)の観音堂の、うゝと呻吟(ウメク)音(コエ)し、また鳴動(ナリウゴカ)せり。

これも貉(ウジナ)のなす事にやなンどあやしみてかたりぬ。

そは、いにしへもさる事あり。

文徳天皇実録』の中に、天安元(八五七)年のころ六月六日、参河ノ国の庁院のひんがしの庫振リ動シ事見えたり。

またそのおなじとし(六月三日)、

 

「在陸奥極楽寺定額寺充燈分並修理料稲千束墾田十町」

 

云々と見えたり、その寺、極楽寺はいづこならむかし。

けふもくれたり。

 

廿四日 けふ村上良知のもとに行とて、童にみちあないさせて、かたらひつゝ行に、此ころふりし春雪とともに去年の真雪(サネユキ)も消えて、道のぬかりて、ありきつらしとて芝生に腰うちかけて休らふに、兎ひとつ飛出(トビデ)てはせ行を見て童の云ク、むかし田螺(タツブ)が歌をかけたり、

 

「旭さすこうかの山の柴かぢり耳がながくてをかしかりけり」

 

とよみたれば兎、

 

「やぶしたのちり/\河のごみかぶりしりがよぢれてをかしかりけり」

 

と返歌せしなどかたりもて、午の貝吹くころ徳岡につきたり。

 

廿五日 あしたより空うら/\と長閑なるに、鶯のこゑだに聞ぬなンど、うたものがたりのふみどもくり返し見つつ、そが中に、

 

「ふる里に行人あらばことづてむけふうぐひすのはつ音きゝつと」

 

源兼澄卿のよみ給ひしは、正月ノニ日逢坂にてと聞え給ひしをなンど語りつつ、

 

鶯のはつ音も花もにほはぬに春はなかばも過んとすらむ

 

けふはなめて、菅神に手酬(タフケ)奉らむ梅さへ咲かでをろがみ奉る也。

三四日、ことなければ日記もかゝず暮たり。

 

三十日 忠功寺なる玄指といふ僧(ホフシ)、去年の霜月身まかれり。

けふなんその百日斎忌(モゝカノトフラヒ)とて法のわざあるに、

 

遠ざかる日数ももゝの花かづらかけてやよひの空に手向む

 

良道の歌に、

 

冬がれの梢の霜とかれし身もつるのはやしの花やしのばむ

 

きさらぎもけふにはつれば、あすのやよひは、ことふみにしるす。

 

 

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