晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

時間の流れ方が変わる

ベトナムからアメリカ軍が撤退を完了したのは、1973年3月である。

アメリカは、22年に及ぶベトナムへの軍事介入を終えた。

私が、進学のために秋田から横浜に出てきたのが、前年の1972年である。

人は、何才くらいで国際関係というか国際問題に目覚めるのだろうか。

日本という自分の国のほかに、世界の国々があるということである。

今の子どもたちは、とんでもなく早いよね。

私の場合は、ケネディとか東京オリンピックあたりが、きっかけだと思う。

ケネディについては、まだ小学6年くらいの時に彼の評伝を読んでいる。

東京オリンピックの公式記録映画は、日本全国の小中学生が見たと思う。

ケネディは、暗殺されたことによって、偉人として扱われるようになったのだろうが、彼の任期中にアメリカはベトナムへの介入を強めている。

 

私にとっては、小学、中学、高校、大学と、ベトナムでの戦争は続いていた。

ベ平連」というベトナム戦争反対を訴える団体が、抗議のデモをしていて、ニュースで報じられていた。

ベトコンと呼ばれた「南ベトナム民族解放戦線」のドキュメンタリー映画が、映画館で普通に上映され、私も見た記憶がある。

子どもにとって、10年以上にわたって続いているということは、永遠である。これは永遠に続くのではないかと思われた。

それが、アメリカが完全撤退するというニュースを見て、ほんとにこんなことがあるんだ、と思った。

ほんとに、終わるんだ。

 

それと同じような感覚が、総理大臣についてもある。

私が、社会的に物心がついた時、日本の総理大臣は、池田勇人氏だった。

「所得倍増政策」の池田首相である。

東京オリンピックの頃に病気に倒れ、佐藤栄作氏に代わる。

1964年11月である。

それが、なんと退任は1972年7月である。

計算すれば任期8年で大したことないが、やっぱり、小学、中学、高校、大学といつまで続くのだろう、と思っていた。

このおじさんはずっと総理大臣なんだ、って感じだった。

 

でも、彼は任期中に次のことをやってる。

1965年、日韓基本条約批准。

1968年、小笠原諸島返還。

1972年、沖縄返還

そして、佐藤首相には、直接関係ないと思うが、現在につながる大きな出来事があった。

1971年、国連安全保障理事会常任理事国が、中華民国から中華人民共和国に代わった。

 

10代と60代では、時の流れ方がちがう。

これは、個人的なことだ。

20代、本と山と旅と酒かな。

30代、子育てだったな。

40代、実の父と義理の父が逝く。

50代、姉が逝ってしまった。

60代、先が見えず、時が流れている。

 

あの頃は、砲火のきなくさいにおいがしていた。

いまは、それとは違うにおいがする。

 

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