サッカーの日本代表が帰国した。
決勝トーナメントの第一戦は、深夜だったので、早めに寝て起きられたら見ようと、特にタイマーはセットしなかった。
目が覚めたら、まだ試合開始前だったので、ベッドの上でiPadを使って試合を見た。
Yahooのワールドカップのページから、「試合を見る」をクリックすると、ログインなどの面倒なこともなく、見ることができた。
解説は、本田圭佑さんだったが、けっこうおもしろかった。
延長で決着がつかず、PK戦ということになった時、本田さんがこう言った。
と、見るのがつらそうなことを、言っていた。
私も、そう思う。
いやな予感がしたように、やはり日本代表はうまくいかなかった。
たぶん、私が初めてワールドカップを見たアメリカ大会で、イタリアのバッジオ選手がPKを外したのを見た記憶がある。
試合とPK戦は、別物だと思う。
だから、記録には引き分け試合となるらしい。
とは言っても、PK戦に買った方が、第二戦に進めるのだから、そうも言ってられない。
これでまた、言いたいことを言う人たちが、いっぱい出てくるんだろうな。
スペイン代表だって、PK戦を失敗するんだから、やってみなければわからない。
前回のロシア大会も、決勝トーナメントの第一戦で日本代表は負けたんだった。
ベルギーに2点差を逆転されて、ベスト8を逃している。
でも、この試合を見た記憶がない。
この試合も深夜だったのだろう、目が覚めたら見ようとしてたのかも知れない。
その頃、私の母が近所の病院に入院していた。
病院からの電話で、母の容体が悪化したのですぐ来てください、とのことだった。
その夜に、母は亡くなった。
そのせいか、ロシア大会のことをあまり覚えていない。
ワールドカップは楽しみにしていて、いつも真剣に見てるはずなのに。
あれから、四年経ったということだ。
まだ四年前のことなんだ、という気がする。
もう、十年くらい前のことのような感じだ。
母が亡くなった翌年に、東京で暮らしていた妻の母が倒れて、入院した。
その後、母が入院していた近所の病院に転院した。
私はすでに退職していて自由の身だったし、病院は我が家から歩いて2、3分という近所なので、毎日病室に通っていた。
それが、コロナ禍のために、面会中止になってしまった。
このことについては、ブログにも何回か書いた。
来年2月で、満三年になる。
こんなありえないようなことが、ありえているのだ。
現在の感染者数を考えると、面会中止が解除されるのが、いつになるのか想像できない。
これが、4年間の出来事である。
それにしても、ワールドカップやオリンピックの開催間隔の四年というのは、何からきているのだろう。
アメリカ大統領の任期も、四年である。
日本の総理大臣は、たぶん任期というのはなさそうだな。
総理大臣は議会が決めるのだから、それぞれの政党の代表としてに任期に左右されるのだろう。
だいたいが、2年というところだろう。
今回のサッカー日本代表は、26人のうち初出場が19人ということだ。
19人の初出場の選手のうち、どれくらいの選手が次回の代表チームに選ばれるのだろう。
毎年、若手の選手が台頭してくるのだから、せいぜい半分くらいだろうか。
もしかすると、三分の一くらいかも知れない。
長友選手のように、4回も出場できるのは、ほんとに稀なことなんだな。
「一期一会」で、その時しかないから、その時その時を大事にしなければならない。
同じ時は、二度とはないのだ。