晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

四年という年月

サッカーの日本代表が帰国した。

決勝トーナメントの第一戦は、深夜だったので、早めに寝て起きられたら見ようと、特にタイマーはセットしなかった。

目が覚めたら、まだ試合開始前だったので、ベッドの上でiPadを使って試合を見た。

Yahooのワールドカップのページから、「試合を見る」をクリックすると、ログインなどの面倒なこともなく、見ることができた。

解説は、本田圭佑さんだったが、けっこうおもしろかった。

延長で決着がつかず、PK戦ということになった時、本田さんがこう言った。

PK戦見ますか。PK戦は運だから、見てられない。」

と、見るのがつらそうなことを、言っていた。

私も、そう思う。

いやな予感がしたように、やはり日本代表はうまくいかなかった。

 

たぶん、私が初めてワールドカップを見たアメリカ大会で、イタリアのバッジオ選手がPKを外したのを見た記憶がある。

試合とPK戦は、別物だと思う。

だから、記録には引き分け試合となるらしい。

とは言っても、PK戦に買った方が、第二戦に進めるのだから、そうも言ってられない。

これでまた、言いたいことを言う人たちが、いっぱい出てくるんだろうな。

スペイン代表だって、PK戦を失敗するんだから、やってみなければわからない。

 

前回のロシア大会も、決勝トーナメントの第一戦で日本代表は負けたんだった。

ベルギーに2点差を逆転されて、ベスト8を逃している。

でも、この試合を見た記憶がない。

この試合も深夜だったのだろう、目が覚めたら見ようとしてたのかも知れない。

その頃、私の母が近所の病院に入院していた。

病院からの電話で、母の容体が悪化したのですぐ来てください、とのことだった。

その夜に、母は亡くなった。

そのせいか、ロシア大会のことをあまり覚えていない。

ワールドカップは楽しみにしていて、いつも真剣に見てるはずなのに。

 

あれから、四年経ったということだ。

まだ四年前のことなんだ、という気がする。

もう、十年くらい前のことのような感じだ。

母が亡くなった翌年に、東京で暮らしていた妻の母が倒れて、入院した。

その後、母が入院していた近所の病院に転院した。

私はすでに退職していて自由の身だったし、病院は我が家から歩いて2、3分という近所なので、毎日病室に通っていた。

それが、コロナ禍のために、面会中止になってしまった。

このことについては、ブログにも何回か書いた。

来年2月で、満三年になる。

こんなありえないようなことが、ありえているのだ。

現在の感染者数を考えると、面会中止が解除されるのが、いつになるのか想像できない。

 

これが、4年間の出来事である。

それにしても、ワールドカップやオリンピックの開催間隔の四年というのは、何からきているのだろう。

アメリカ大統領の任期も、四年である。

日本の総理大臣は、たぶん任期というのはなさそうだな。

総理大臣は議会が決めるのだから、それぞれの政党の代表としてに任期に左右されるのだろう。

だいたいが、2年というところだろう。

今回のサッカー日本代表は、26人のうち初出場が19人ということだ。

19人の初出場の選手のうち、どれくらいの選手が次回の代表チームに選ばれるのだろう。

毎年、若手の選手が台頭してくるのだから、せいぜい半分くらいだろうか。

もしかすると、三分の一くらいかも知れない。

長友選手のように、4回も出場できるのは、ほんとに稀なことなんだな。

「一期一会」で、その時しかないから、その時その時を大事にしなければならない。

同じ時は、二度とはないのだ。

 

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