購読リストに読者登録してあるブログを読んでいた。
私が読者登録してあるブログは、かなりの数ある気がするが、どこを見れば自分が登録してあるブログの一覧が見れるのかわからない。
もちろん、自分のブログの読者一覧を見るのはわかる。
「歴ログ-世界史専門ブログ-」という、尾登雄平さんという方のブログである。
世界史とはなっているが、教科書には出てこないような話題が、変わった切り口で取り上げられている。
2014年にブログが始まって、世界の全てではないが、ほとんどと言ってもいいくらい、さまざまな国が取り上げられている。
知らなかったということがほとんどで、私にとっては読んで得するブログだ。
今回は、こんな話題だった。
タイとカンボジアである。
この二つの国は、国境を接していて、歴史的にも文化的にも近しい国であるが、それだけに微妙な関係であるということが、さまざまな例とともに述べられていた。
どんな国にとっても、隣国との関係がなかなか困難なものであるのは、確かだろう。
日本の場合を考えるまでもない。
タイという国は、海外旅行で私が行ったことがあるわずか二カ国のうちの一つである。
もう、20年以上も前のことである。
思い出すのは、バンコクの喧騒や、アユタヤへの道路の周辺が大洪水の後で、泥だらけだったこと、そしてミャンマーとの国境の鉄橋などである。
その頃すでに、タイは「微笑みの国」と言われ、アジアを代表する観光国だった。
ところで、カンボジアは、現在はあまりメディアなどで話題になる国ではない。
記事を読んでいたら、カンボジアの国民の9割くらいは「クメール人」である、とのことだった。
「クメール」で、昔の記憶がよみがえった。
かつて、ベトナム戦争の頃、隣国のカンボジアやラオスでも内戦をしていた。
ニュースで、ベトナムとともに、カンボジアやラオスについても報じられていた。
カンボジアでは、「シアヌーク殿下」や「クメール・ルージュ」という抵抗組織の名前をよく聞いた。
ラオスでは、「パテト・ラオ」という名を覚えているが、これも政府に対する抵抗組織だった。
正直なところ、私はこの辺りの歴史について、詳しい知識がないので、調べてみた。
この三国とも、フランス領だったわけで、「クメール・ルージュ」はフランス語で「赤いクメール人」つまり、共産主義者のことだったと思う。
「パテト・ラオ」もフランス語由来かなと思ったのだが、これはラオス語で「ラオスの地」ということだそうだ。
第二次世界大戦終了時までは、ともに王室をいだく王国だった三国が、フランスからの独立、そして幾多の内戦を経て現在に至るまでの歴史は、さまざまな政治勢力が絡みあって、あまりに複雑で理解が難しい。
私は、世界史についての知識が貧弱である。
そして、アジア史についても同様だ。
私は、このブログで、「ベトナム戦争」のことを何回か書いている。
これは、あくまでも私の記憶に基づいている。
1960年代、1970年代に、小学校、中学校、高校、大学と学校生活を送った私にとって、時代はいつも「ベトナム」での戦争があったからである。
その頃を思い出すと、背景にはそれがある。
フォークソングのブームがあって「自衛隊へ入ろう」を高田渡が歌ってたり、「ベ平連」という団体がデモをしていた。
ケネディ大統領の頃は、ベトナムに対して、軍事顧問を送ったり、軍事援助だったのだが、大統領暗殺後は、アメリカ兵自体をベトナムに投入するようになる。
それが、私が小学校高学年くらいである。
そして、大学生だった時に、サイゴンが陥落し、アメリカ軍はベトナムから撤退する。
話がそれてしまったので、タイとカンボジアの抗争に戻る。
ブログの記事には、このように表現されていた。
東南アジアの国々は宗教、食、スポーツ、芸術などでかなり類似した文化を持ちますが、特にタイとカンボジアは共通性が高いです。王室を持ち国民からの敬愛が篤いという点も似てますし、社会規範やモラルも共通性が多いです。タイ文字とクメール文字も非常に似ています。
そのためお互い「自分たちがオリジナルで、相手は盗んでいる/嘘をついている」と主張します。
このように、自分たちに起源があり、相手は真似をしている、というような言い方は、何かわが国の周辺でも飛び交っている言葉のような気がする。
私などは、起源がどうだったかはたしかに意味のあることだけれど、それよりも重要なことはそれが現在どうなっているのかなんじゃないのか、と思うのだが、どうもそうもいかないようだ。
この点については、SNSなどの書き込みを、それぞれの国のマスコミが面白いおかしく取り上げているうちに、エキサイトしていくというようなパターンのようだ。
タイ料理とクメール料理、ムエタイとクン・クメール(ボクシング)、タイ舞踊とクメール舞踊、ときりがない。
世界遺産であるカンボジアの「アンコールワット」はクメール帝国を代表するもので、タイのアユタヤはその後継者であると言われているようだ。
クメール帝国は、ベトナムやタイの一部もその勢力範囲だったという。
そのあたりの、時代による力関係が逆転したことなどが、この微妙な関係の根底にあるのかな。
アンコールワットはタイのものだから返還しろ、という主張もあるというから揉めるはずだ。
タイの有名なアーチストや運動選手が実は100%クメール人であるという事実ではないことを、SNSにクメール人が書き込んで大きな騒ぎもあったらしい。
これなども、どこかで聞いたような話である。
かつて、タイに行った時に、タイ舞踊のショーを観た。
仏教寺院にも、行った。
なんとなく、インドの影響が強いのだな、と感じていた。
しかし、ブログにある次のような記述を読んで、なるほどと納得した。
かつて東南アジアは巨大なインド文化圏でした。
インドやスリランカから東南アジアにやってきた商人や伝道者らが仏教、建築、芸術、政治制度、言語まで、あらゆる文化的なものを伝えました。
こんな基本的な知識が、自分には無かったのだ。
こんなところから、アジアの歴史を学んでいれば、もう少し理解できたのにと思う。
以前、世界で最も大きなイスラム教国はインドネシアだ、と知って驚いたことがある。
確かに、インドネシアは人口2億人以上はいるはずだから、なるほどである。
イスラム教が入ってくるまでは、仏教国だったらしいが、なぜイスラム教国になったのだろう。
インドが独立する時に、イスラム教が信仰されていたの地域が、パキスタンになったんだな。
日本は島国だから、国境はすべて海上にあり、地上に国境がある地続きの国々の微妙な関係がわかりにくい。
隣国の中国が、自国の領土をかなり広げた地図を発表して、周囲の国々と揉めている。
ロシアのプーチンさんは、「ウクライナはロシアである」と前から言ってた。
歴史を遡ってしまったら、なんでもありである。
インドやスリランカから商人が持ってきたという仏教、建築、芸術、政治制度、言語など。
日本は、わざわざ出かけて行って、自分で持って来たことになるのかな。
仏教、建築、芸術、政治制度、言語などが、どんなふうに広がっていったのだろうか。
おもしろそうなので、勉強してみようかな。