晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

黒ビール、ホッピー、そして日本酒

黒ビールが飲みたいなと思い、スーパーの売り場に行ったら置いてなかった。

他の店にも行ったが、置いてない。

去年までは、置いてあった気がしたのだが、やっと見つけたのはギネスの缶ビールだった。

ギネスもいいのだが、ちょっとお高い。

去年までは、発泡酒タイプのもあったはずだ。

いろんなスーパーに行くたびに、お酒の売り場をのぞいていた。

いろいろ回って、4種類置いてあるところを見つけた。

むかしは、キリンビールから瓶でも出てたのにな。

製造中止になった訳ではないらしい。

あんまり売れないのだろうな。

 

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私は、本来ビール党である。

勤め人の頃は、毎晩、晩酌はビールだった。

1日のケジメだと言って、飲んでいた。

退職して、主夫になって台所に立つ時間が長くなって、日本酒をちびちびやるようになった。

そうすると、さすがに夕食時は飲まない。

そのうちに、黒ビールが飲みたいな、と思うようになった。

黒ビールはコクがあるので、何杯も飲む気にはならない。

コップ一杯で、充分である。

かつては、充分に飲んで最後に締めで飲んでいた。

黒ビールは、淡色麦芽と濃色麦芽ブレンドしていて、高温で焙煎乾燥させて作る濃色麦芽の色合いによって黒い色になるらしい。

 

 20代の頃、千代田線沿線を友人たちと飲み歩いていた。

今でもあるが、ホッピーを飲ませてくれる居酒屋があった。

今は、酎ハイ全盛時代かもしれないが、ホッピーもその仲間である。

知らない人のために説明すると、ホッピーはアルコール度1%以下のビールである。

焼酎を割るためのビールなので、作り方によってはアルコール度の超高いビールができる。

その頃よく行ってた居酒屋に行くと、まわりは肉体労働の強そうな方々ばかりで、我々はその中で静かに飲んでいた。

ホッピーの瓶は、今でも酒類の売り場にあったりする。

黒ビールタイプも確かあったはずである。今度、探してみよう。

 

その頃から、ウイスキーや日本酒は苦手だった。

アルコール度の高い酒を飲むと、むせてしまうのだ。

だから、宴会ではもっぱらビールを飲んでいた。

そういえば、山に登る時にはワインを持って行った。

頂上で、アルミ製のテルモスに入れて持って行ったワインをみんなで飲んでいた。

すばらしい展望を見ながら、乾杯していたのだ。

なぜか、ワインを持って行くのは私の担当だった。

 

年を取ると、ビールもそんなにいっぱい飲めなくなる。

いっぱい飲まなきゃいいだろう、ということでもあるが、トイレもやたら近くなるし。

日本酒のうまさが、だんだんとわかってくる。

ウイスキーも試してみたが、やっぱりむせてしまってまだ苦手だった。

酒の飲み方が、変わってきたのかもしれない。

ゆっくり飲むようになったのだと、思う。

考えてみたら、ドブロクをつくってる家で育ったのだったんだよな。

おふくろに、ドブロクの作り方をちゃんと教えてもらうんだったな。

 

今は、自家用だったらドブロクを作っても大丈夫だったかな。

むずかしい条件があったかな。

よく、濁り酒って売ってるけど、私の記憶だとあれはドブロクではない。

もっとまろやかなものだった気がする。

 

 

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