晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

雪国のフリーズドライ

今はもう、野菜の旬というものをほとんど気にしなくても買い物ができる時代だ。

でも、去年は不順な天候のせいで、野菜が高かったなあ、と思う。

私は、一応主夫なので、一人で買い物に行くことも多い。

最近になって、やっと落ち着いてきたと思うけど、ものによってはまだかなり高いままのものもある。

日本は南北に長いし、ビニールハウスのおかげだと思うが、かなり長い期間にわたって、同種類の野菜を買うことができる。

ビニールハウスだけではなく、最近は工場で育てる野菜も増えてるらしい。

雪国まいたけに代表されるキノコ類は、野菜売り場の定番になっているし、しかも安い。

以前は見かけなかった「エリンギ」などという洋物も、当たり前のように見かけるようになった。

 

私は、雪国秋田の農家で育った。

今は、温暖化で違ってるかも知れないが、11月に初雪が降って、年内に根雪になり、4月になってやっと雪が消える。

その間は、畑は使えないので、野菜は育たない。

農家は、家の敷地に家族用の野菜のために畑を作っていた。

そこに、1メートルくらい穴を掘って、根菜類を埋めて保存していた記憶がある。

それくらい掘ると、雪が積もっても凍ることなく保存できると、聞いたような気がする。

ダイコンの葉っぱは、乾燥させて冬の間の味噌汁の具にしていた。

ダイコンの葉を、軒下に吊るしておくと、寒さと風で水分が無くなって、保存ができた。

フリーズドライの製法をやっていたわけだ。干し菜って言ってたかな。

おいしくはなかったが、無いよりはマシということだったと思う。

ほしもちというものもあって、これもフリーズドライだった。

切り餅を縄に挟んで、同じように乾燥させると、水分が無くなって、カビたりしない。

硬くなった鏡餅みたいなものなのだが、鏡餅と違って、切り餅なので表面は硬くならず食べやすい。

ゴマが入っていたり、きれいにいろんな色がついていた。どうやって色をつけてたのかな。天然のものでやってたのかな。

田植えの頃のオヤツになっていた。

最近は、観光地でもおみやげで売ってたりしてる。

 

春先になって、山の雪が消えはじめると、雪の下から山菜が出てくる。

生の野菜がない時期なので、とても貴重なものだったろう。

母親が、姉を連れて山菜取りに出かけていた。

いっぱい取れた時は、きれいに束ねて町の市場に売りに行っていた。

文字どおり、飛ぶように売れた、と言っていた。

町の人たちも、野菜がなくてそういうものに飢えていたのだろう。

 

私は、ほとんど畑でできたもので育っている。

動物性のものといったら、ひと冬に数えるほどのきりたんぽに入っている鶏肉くらいのものである。

あとは、冬になると木箱で売りに来ていたハタハタかな。

これは、煮たり、焼いたりして食べていた。ブリコがあると、喜んで食べていた。

貴重な動物性たんぱく質だった。

 

食べるものなら、なんでもある時代になってしまった。

食べすぎないように注意しなければならなくなるとは、思わなかったな。

 

 

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