晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

近眼で乱視なので、眼鏡をかける

眼鏡のフレームの調子がおかしい。

なんとかしないと、いけない。

私は、車の運転には眼鏡が必需品である。

 

私は、田舎育ちなので、視力は良かった。

視力検査では、いつも1.5だった。

それもそのはず、家の回りは田んぼだし、隣の家まで100メートルくらいある。

考えてみたら、身の回りにメガネをかけた人は、いなかった。

高校生の時に、街中に引っ越した。

そのせいか、1.2くらいになってしまった。

 

学生時代は、あんまり視力を気にしたことはなかった。

就職して、デスクワーク中心の仕事になった。

机に向かって座ってる時間が、長くなった。

そんな生活を続けて、20代の終わり頃、自動車の運転免許を取ることを決めた。

そんなに、必要に駆られたわけではないが、友人が次々と免許取得してたので、俺も取っておこうかと思ったのだ。

その頃、だいぶ視力が低下しているのを自覚していた。

運転となると、眼鏡が必要になるだろうと思って視力検査した。

 

驚いたことに、視力検査表の一番大きいのが見えなかった。

なんと、視力が0.1なかったのだ。

あの大きな図形がぼやけていて、上下左右などがわからない。

それでも、仕事に差し支えがなかったのは、どんな小さな字でも近づけば、しっかりはっきり見えるからだった。

ど近眼で、しかも、乱視だった。

たぶん、近いものばかり見ている仕事で、徐々に悪化したのだろう。

考えてみると、思いあたることはあった。

夜空の月を見てると、月が二重に見えたが、スモッグのせいだと馬鹿なことを思ってた。

離れてると人の顔がぼんやり見えていた。

見えてはいるが、はっきり見えない。

結果として、あまり人の顔を見なくなっていた。

 

そういうわけで、30歳近くなって私は眼鏡をかけることになった。

車に乗るときは、眼鏡をかけざるをえないが、ふだんはあまりかけなかった。

通勤も車は使ってなかったので、眼鏡なしで出かけていた。

眼鏡なしで仕事に支障は、感じてなかったのだ。

眼鏡なしで出かけて、帰ったらテレビを見るために眼鏡をかけるという、逆転したことをやっていた。

 

ところが、何回か転勤しているうちに、困ったことになった。

年とったせいもあるだろうが、新しい職場で顔と名前がなかなか覚えられなくなってきたのだ。

しょうがないので、仕事にも眼鏡をかけて行くようになった。

眼鏡をかけてる時間が、圧倒的に長くなった。

それでも、近眼なので本を読んだり、パソコンをやるときは、眼鏡を外す。

近くを見るときは、眼鏡が無い方が楽なのだ。

一時、遠近両用の眼鏡にしたことがあるが、慣れればなんとかなると思ったのだが、なかなか慣れることができなかった。

ラクラする感じがあって、足元があぶない

結局、通常のものに戻した。

 

退職して6年ほどになる。

眼鏡をかけることは、習慣化したので、ほとんどはかけている。

今は、裸眼での視力はどうなっているだろう。

ときどき、眼鏡を外して風景を見たりするが、それなりには見える。

デスクワークはしていないのだから、できるだけかけていない方が視力は回復するのだろうか。

 

 

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