霜降月のなかば、湯沢(湯沢市)〔いにしへ出湯ありしといへり。
いまも山はたけの畔より湯いづるところあり。かくちといふ。
たばこいづる里也〕のうまやに行ば、雪は五六尺にあまりて、かた岨、谷などをのぞむがごとくおぼへたり。
かく、しみ氷りたる雪の上に小供らあつまりて、はきぞりとて、細き木の二尺斗なるにつなをわがね付て、くびにかけて、軒ひさしの上よりいくたびも/\くだりてあそぶ。
又わらは、狗引いでて、かゝるむく/\とこへたる犬子はあらし〔荒キならん、ちからつよくふるまふ也〕といふに、いな、其犬子は、みのこなし〔いとよはく、こといぬにそるゝを、みのこなしといふ〕さはらまけな、あが犬子。
そがいぬ、きのふふられて小たぐりしたり。
(空白)せしそ。
いな、それがこそはなたなれ、比しろ子は、ありまなにがしのかみめし給ひし狗のためには、むまごなるよとあらがひけるに、いぬはみな、家のうへに高雪をつたひてかけのぼれば、おなじう、わらはべもはせのぼりたり。
日くれて、ある山里に宿かれば、やのあげまき灯の本にありて、松やにぶて〔火くらくまたゝけば、かねばしにて打ぬ〕いとくらしとて、こうみ八寸、はな六寸とて、たばかりして、しなだといふものを繩によりて、馬のおもづらといふものをあむ。
門を叩て入来るうばとらく、こは、六日をこなひたる柴燈(さいとう)の護摩の御札なり。
是おしてとさしいだし、比うばそく、こうじたるにや、いとはや、はなうちならしてふしぬ。
あさとく出たちてけれど、みちのいと遠くて暮ぐれ近く来れば、あらぬすぢに、ふみまよひこし。
からうじて、行かひあるすぢに来たりて、
けふこゝに雪の山路まどひくとふる里人や夢にしるらん
又ほのかに行方見えたるは、ひねもす雪車引たるが、いくすぢも見えてありければ、十もじ七もじいひつゞきぬ。
そりのあと一筋見えてくれにけり
かくて草彅が家にかへりぬ。
久保田(秋田)の里にてかうがへたる暦も、廿日あまり巻残りて、ことしもくれんとす。
唯あけくれ雪の中に冬ごもりして、手を折て日数つもりき。
たが、いひしならん、
「大雪やまどから見ゆる人のあし」
まことや、高まど、軒ひさしなどの上より、行かふ人のわらぐつのみ見えたり。
わらはべ、かまくらあそぶとて、やよりたかき雪をうがち大なる穴をほり、そが中に笹のともし火して、あらぬさまかたりて更ぬ。
雪の曙のおもしろさは花に見たらんに増りて梢もなき山の遠かた、たとへんかたなし。
里ごとに年の市とてさはげども、ゆづる葉、うらじろなければ、雄松、五葉などを、高雪の下よりからくしてほり起してうりたり。
人の家居はゆきのふり入ぬ料に、いなむしろかけて、是にくゞり入ぬるは、穴などにおりめぐるこゝちせり。
みそかになりたるあした、かくぞおもひつゞきたる。
月も日もつもりて雪のなかに行雪車のはやをの早き一とせ
夜くだち行ころ、めのわらは、きどころ寝〔うたゝねをいへり〕したるを、やよ、せやみ〔せをやむとは、人にしたがはで、はか/\゛しからぬをいへり〕
おきよ/\、風ひかんに。
あけなば、いねつむ日なれば、とくふさせんいひて、
、ともに、はなぞよめかして、ひぢまくらにうたゝねたり。
比いねつむといふは、
「秋の田のかりそめふしもしてけるがいたづらいねを何につまゝし」
と、藤原成国の聞え給ひし歌のこゝろにかなひたり。
秋田のあがたにてあれば、
ことさらおかし。
鶏もとしやおしむらん、声のかぎり聞えたり。
故郷を思へば二百余里をへて、玉くしげふたとせ、旅に、としをむかふならん。