「牧野富太郎自叙伝」を読んでいる。
先日、図書館で「古代日本の道と駅」を借りて読んだことを書いた。
実は、図書館での目当ては、この本ではなかった。
牧野富太郎という植物学者についての本がないものか、探していた。
やはり、分館にはなく、本館に行ってみようと思った。
帰ってから、パソコンのコレクションのフォルダを見ていたら、青空文庫からダウンロードしたものがあったのだ。
自叙伝第一部と第二部の二冊分があったが、読んだことがなかった。
牧野富太郎についての興味を持ったのは、NHKの朝の連続ドラマ「らんまん」がきっかけである。
妻が撮りだめしたものを、ときどきまとめて観ている。
ふだんはほとんどドラマを見ない私も、いっしょに見ていた。
「牧野富太郎」という植物学者のことは知っていた。
ファーブルの昆虫記を初めて読んだ小学生の頃に、日本には牧野富太郎というすごい植物学者がいた、ということを知った。
でも、彼についての本を読んだこともなかったし、詳しいことは何も知らないままだった。
田舎の自然の中で育った私とっては、「昆虫」も「植物」も、身近にありすぎるような存在だった。
どちらにも、そこまでのめり込むこともなく、私は生きてきた。
このテレビドラマは、NHKとしてはかなり気を入れて作ってるのだろうという気がした。
オープニングの曲が、あいみょんさんの「愛の花」である。
あいみょんさんは、私はけっこう好きである。
フォーク・ロック世代にとっては、かっこいいなあ、と思う。
それはともかく、見ていて気になったことがある。
「牧野富太郎」がモデルのはずなのに、ドラマでは「槙野万太郎」となっているのだ。
ほとんど、連続ドラマを見ていない私の認識では、実在した女性がモデルになっていた気がした。
「マッサン」というウイスキー作りがモデルになったドラマが何年か前にあったが、このシリーズだと思うのだが、あれもモデルの名前などは、変えられていたのだろうか。
「牧野富太郎」という実在した人物をモデルにしたのならば、何故そのままの名前を使わないのか、不思議だった。
牧野富太郎自叙伝は、まだ 読み始めたばかりだし、テレビのドラマも半年のシリーズの前半である。
その結果わかったことは、「自叙伝」とドラマの「らんまん」は、まったく別物であるということだ。
だから、「牧野富太郎」という名前は使っていないし、かれをとりまく人たちの名前は、モデルはあったにしても、違う名前が使われている。
「牧野富太郎自叙伝」は、牧野富太郎氏本人が自伝として自ら書いたのだから、事実と言ってもいいだろう。
彼が、成長していく過程で、興味を持ったものや、出会った多くの人たちのことが、こまかく書かれている。
でも、考えればわかることだけれど、彼が出会った人たちとどのような会話をしたとか、どのようなしゃべり方、語彙を用いたかなどは、書かれていない。
それは、彼だけではなく、どんな人物であっても、同じだろう。
映画が、テレビのドラマで、ある人間を描こうとしたら、その人と他の人との関わり方を、主に会話によって表現するしかない。
ところが、彼がどのような内容を、どのように話したかというようなことは、どこにも残っていない。
結局、この「らんまん」というドラマでは、劇作家であり脚本家の長田育江さんが、さまざまな資料から創作した「槙野万太郎」というキャラクターを、俳優の神木隆之介さんに演じさせているのである。
今ごろになって映像で表現するということは、そういうことなのだということに、気がついた。
牧野富太郎さんという人は、文久2年(1862年)に、高知県高岡郡佐川町に生まれ、昭和32年(2957年)に東京都文京区で亡くなった。
同じ高知県の高知市で、天保6年(1836年)に、坂本龍馬は生まれているが、明治になる前年慶應3年(1868年)に亡くなっている。
どうしてこなところで、坂本龍馬を出してきたかというと、生まれた時代は20年ちょっとしか違わないのに、扱い方がまったく違っているからである。
もっとも、坂本龍馬は明治になる前、江戸時代のうちに亡くなっているのに、牧野富太郎が亡くなったのは、昭和32年で私も生まれてからだ。
坂本龍馬は、歴史上の人物であり、描くにあたって名前を変えることもない。
それに対して牧野富太郎氏については、実名で描くことが憚れるのである。
没年が1957年ということは、生前の牧野氏を直接知っている方がいる可能性がある。
牧野富太郎さんは、そういうことを言わなかったとか、そんな言葉遣いをしなかった、そんな人ではなかった、と言う人がいるかもしれない。
「自叙伝」の他に、牧野氏と直接に親交のあった方の記録がどの程度残っているのだろうか。
NHKの大河ドラマで、「竜馬が行く」が放送されたのは、昭和43年(1968年)だというから、私は中学生の時だ。
ドラマを見てはいなかったが、20代になってからこの原作である司馬遼太郎の小説を読んだ。
坂本龍馬という人は、筆マメだったようだから、手紙やメモのようなものは、それなりに残っているのかもしれない。
しかし、断片的にしか存在しない資料から、まるでこの目で見てきたかのように、人物が会話したり、行動する物語には、ついていけないところがあった。
さらには、心のなかをも見透かすように描かれていたりする。
もともとが、私は小説のようなものが苦手なところがある。
牧野富太郎が生まれ育った佐川町は、土佐藩の家老深尾家の城下町だった。
そこで酒造業を営む商家の一人息子であったが、幼少より植物に興味が深かった。
坂本龍馬もまた、高知で酒造業などを営む豪商から、郷士に召し出された家系だった。
最近「自叙伝」を読み始めたので、テレビドラマ「らんまん」では、限られた資料から、どのように牧野富太郎の生涯を描いていくのか、気になってしまう。
そこで、考えたのが、先に書いたように、「自叙伝」などの史実とテレビドラマは、「まったく別物」であるということだ。
歴史上の有名人である「坂本龍馬」に関する書籍は、数えきれないほど存在する。
それほど有名とは言えない「牧野富太郎」に関する書籍も、探せばけっこうみつかるだろうと思い、検索してみた。
さすが、「日本植物学の父」と言われるだけあった、数えきれないほど見つかった。
私が、思い落としていたのは、彼が生涯を植物学者として生きたことだった。
学者というのは、文章を書くのが大きな仕事である。
「自叙伝」という構えた著作だけでなく、植物に関する文章や随筆のようなものも多く残しているようなのだ。
私はまだ、読んでいないが、その中には自分自身の個人的な思いや、出来事が書かれていたりすることがあるかも知れない。
ドラマ「らんまん」は、主人公である万太郎が、植物学を勉強するために、番頭の息子竹雄をともなって上京する。
東京で住むことになる長屋の様々な人たち、そして出入りすることになる帝国大学の植物学研究室の学生たちが登場する。
そして、のちに妻となる和菓子屋の娘である寿恵子と出会う。
神木隆之介、志尊潤、浜辺美波という若い俳優が演じる青春ドラマになっている。
このドラマの原作というか、インスパイアを与えることになるのが「自叙伝」ということになるのだろう。
しかし、「自叙伝」を読んでみると、テレビドラマとはまったくの別ものであることがわかる。
牧野富太郎が、初めて上京したのは勧業博覧会を見るためで、以前番頭だった佐川竹蔵の息子熊吉と会計係の男と三人で出発している。
その3年後に再度上京しているが、「学問をするために」、「二人の連れとともに、東京へでた」と、自叙伝にはある。
二人の連れは、学校へ通って学生となっていて、ドラマのように最初に同行した番頭の息子ではない。
ドラマでは、志尊潤さんが演ずる「竹雄」は万太郎にとっては、東京暮らしの大事な相棒である。
しかし、竹雄は架空の人物であると思う。
それらしい記載が、まったくない。
「自叙伝」を読むと、他にも不思議なことがある。
ウィキペディアの記事によると、牧野富太郎は、高知にいる時代に最初の結婚をしている。
相手は、従姉妹の「猶」であるが、自叙伝にはそのような記載はない。
ドラマでは、祖母がそのような結婚を勧めるが、二人は断ったことになっていた。
富太郎の父は、彼が四歳の時に亡くなり、母もまた七歳の時に亡くなっていて、祖母によって育てられている。
「両親共に三十代の若さで他界したのである。私はまだ余り幼かったので父の顔も、母の顔も記憶にない。」という文章があるのだが、いくら幼いにしても、四歳、七歳ならかなり記憶に残ってるものではないだろうか。
考えていて思ったのは、過去に存在した人間を、映像として描こうとしたら、多分こうだったのだろうと、想像によって創作するしかない。
ほんの一握りの、確実と思える事実をもとに、物語を作り上げるしかないだろう。
現在の私たちが、例えば「坂本龍馬」のことを考えたとして、思い描くのは、さまざまな映画やテレビドラマで観た映像によるところが、大きいだろう。
同じように、「織田信長」や「豊臣秀吉」や「徳川家康」だって、似たようなものだろう。
史実と言えるものは、本人が書いた文書や、彼と行動をともした人物の記録であるが、そのようなわずかのものから、創造したののが多く残っている。
「らんまん」のように、実在の人間をモデルにした物語であるとして、実名を使わなかったのは、良心的であると言える。
坂本龍馬を描いた小説や映画などは、どこまでが史実でどこからが創作であるか、わからない。
そのあたりは、暗黙の了解である。
とは言いながらも、これからは、牧野富太郎さんのことを考える時には、ドラマの場面や、神木隆之介さんが無意識のうちに、浮かんでしまうのだろうな。