晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

やるべき事をやるべき人がやる

二週間ぐらい前だったろうか、伊豆諸島や小笠原諸島で、津波が発生したということで、一日中テレビのニュースが津波の状況を伝えていた。

ニュースの映像では、どこかの湾内の小さなボートがひっくり返って、流れていた。

ところが、気象庁の会見では、鳥島周辺でごく小さな地震はあったが、震度1にもならないものだという。

結局津波の原因は不明で、海底の火山活動によるものではないかということらしい。

潮位変化があったので、とりあえず津波注意報を発令したということだ。

津波の波高は八丈島で60センチで、他も三宅島・神津島50センチであり、1メートルにもならない。

私が驚いたのは、この程度の津波でもボートが転覆するということである。 

 

津波」といったら、東日本大震災津波が思いうかぶ。

ひと月ぐらい前に、こんな記事を、読んだ。

www.yomiuri.co.jp

記事によると、このようになっている。

 

久慈市は16年、高さ約9メートルの津波避難タワーを整備したが、21年に避難場所指定を解除。国が前年公表した日本海溝地震津波が最大16メートルに達するためだ。

 

読んでいて、頭のなかが、? ? ? になった。

なぜ、こんなことになってしまったのだろう。

津波避難タワーの高さが、9メートルである。

久慈市としては、東日本大震災津波と同程度のものが来ても大丈夫なものを作ったのつもりだったのだろう。

たぶん、久慈市だけの予算ではなく、県や国からも補助金などがあって作ったものだろうに、なぜこれでは高さが足りないよ、ということにならなかったのか。

東日本大震災が起こったのは、2011年である。

そして、福島第一原発を襲った津波の波高は、記事によって違ったりするが、とりあえず15.7メートルとされている。

ところが、国はもっとすごいのが来るかも知れないと言ってる。

ここで、2020年に国が公表したとされているのは、将来予測される「日本海溝・千島海溝」における地震による津波についての想定だと思う。

ネットを調べたら、内閣府のサイトに、こんなものが掲載されていた。

www.bousai.go.jp

これによると、想定される津波の波高は次のとおりである。

 

日本海溝沿いでは、福島県南相馬市で19m、宮城県気仙沼市で16m、岩手県宮古市で30m、青森県八戸市で27m、千島海溝沿いでは、北海道えりも町釧路町で28mの高い津波が推計されています。

 

つまり、東日本大震災津波を遥かに越える津波が予想されているのだ。

でも、この情報はあまり国民に浸透していないと思う。

私も、知らなかった。

 

私はこのブログを、2020年の夏から始めていて、翌年の春が東日本大震災から10年経過だった。

その時に、この震災について文章を書いている。

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

地震自体の被害者よりも、津波の被害者が遥かに多かったことに、なにか割りきれない気持ちがあったので、自分なりに調べて、考えてみたのだ。

私の結論は、津波自体の犠牲者については、なかなか難しい問題だけど、少なくとも福島第一原発の事故については、人災なのではないか、ということだった。

原子力発電所を建設するにあたって、しっかりとした調査や研究をしたうえでやっていれば、起こらない事故だなということだ。

簡単に言えば、津波の波高の想定が適切でなかった、誤っていた。

 

福島第一原発は、1971年に運転開始している。

この建設については、ウィキペディア日本語版の記載は次のようになっている。

 

1号機周辺の敷地は上記の標高30mないし35mの台地を掘削し、標高10mで整地された。

整地面レベルは津波対策に必要とされた敷地高さ4mを上回る10mとなったが、この高さが最もコストを低減するためだった

 

つまり、津波対策上は敷地高は4mあれば充分だったが、コストの関係で10mとなった。

もともとは、30mほどの台地を地盤のしっかりしたところまで掘削したが、10mほどのところで岩盤にぶつかったので、そこに建設したということだ。

もし、岩盤がもっと標高の低い所にあったならば、もっと海面に近い所に建設されたことだろう。

ところで、津波対策上必要な敷地高が、この建設当時は4mとされていたのである。

 

私が、「津波」という言葉を知ったのは、小学校の高学年のころだったと思う。

社会の教科書に、チリ地震津波三陸田老町というところが、大きな被害を受けたことが載っていた。

調べてみると、チリ地震は1960年のことで、その数年後には小学生の教科書に扱われていたことになる。

今回、チリ地震を調べて分かったことは、この時の津波は4mほどで、田老町は大きな被害を受けた。

でも、時代を遡ってみると、田老町は昭和初期、明治時代にそれを上回る津波によって、町が全滅するような壊滅的被害を被った歴史があって、防潮堤などの備えもしていたらしい。

だから、比較的少ない被害で済んだらしい。

それを考えると、原子発電所の式地高4mというのは、疑問のあるところである。

私などの記憶に新しいところでは、1993年に北海道南西沖地震による津波があった。

奥尻島は、場所によって8mから16mという波高の津波に襲われて、市街地は壊滅した。

この災害の後で、太平洋沿岸にも、この規模の津波の可能性があると考えなかったのだろうか。

何か、対策を講じたのだろうか。

関東大震災のような地震があるだろうと言われているが、関東大震災の時の津波は、熱海で波高12mだったということである。

 

福島第一原発津波に襲われた時の状況は、ウィキペディアでは次のようになっている。

 

地震の約50分後、遡上高14 m - 15 m(コンピュータ解析では、高さ13.1 m)津波発電所を襲い、非常用ディーゼル発電機が津波の海水により故障した。さらに電気設備、ポンプ、燃料タンク、非常用バッテリーなど多数の設備が損傷または、流出で失われたため電源喪失(ステーション・ブラックアウト、略称:SBO)に陥った。

 

内閣府東京電力のウエブサイトとも、福島第一原発津波によって重大な事故になったのは、「全電源喪失」が原因だったとし、その場合の対処についての準備が不十分だったとしている。

同じように津波に襲われた福島第二原発は、生き残った廃棄物処理建屋の外部電源をケーブル接続し、電源を確保できたので、何とか安全に停止できたという。

しかし、電源確保が最も大きな問題だとは言ってるが、それ以前の原発の設置の敷地高には触れていないようだ。

メディアの問題検証も見かけたことがない。

 

世間で問題がおきると、私の頭に浮かぶ言葉がある。

「やるべき事をやるべき人がやる」

だれのことばだろうか。

もしかすると、私がかってにこしらえたのかも知れない。

やるべき事をやるべき人がやらないと、人災である。

原子力発電は、もろ刃の刃を扱うのだから、国策として国がやることである。

電力会社は民間会社だから、優先するものが国とは違う。

敷地高によって海からの揚水のコストが違ってくるというようなことが、ウィキペディアの記事に書かれていた。

そういうものだと思う。

「やるべきではない事をやるべきではない人がやる」

そういう言い方もできるかな。

 

 

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