三ヶ月ほど前に、小澤征爾さんについて書いた。
逝去のニュースを知って、高校生の頃に、彼の若かりし頃の著作を読んだことを、思い出したからだ。
とても印象深い本だったのは確かだが、なんといってももう50年以上前の記憶である。
もう一度読んでみたくて、近所の図書館分館で予約した。
市内には、新田原分館にしか蔵書がないようで、すでに3人の予約が入っていた。
のんびり待つしかないようだった。
最近になって、やっと入荷の連絡が来た。
かつて私が読んだのは、昭和37年音楽の友社から刊行されたものだったが、手元に届いたのは新潮文庫版である。
昭和55年刊行で、平成27年に第47刷として発行されている。
本を読んで感じたのは、小澤さんの文章はとても読みやすいことだ。
話を聞いているように、自然な文章である。
小澤さんが、家族や友人、そしてお世話になった方へ書いた手紙を資料として、文章を書いたということだ。
四人の男兄弟のうちの末っ子の弟さんが、これらの手紙をノートに書き写していたらしい。
手紙そのものも、この本のなかで、使われている。
この手紙を読んでも、とてもオープンで仲の良い家族の中で育ったのがわかる。
それほど裕福でもないし、音楽一家というわけでもなくて、でも家族みんなに送られて、武者修行に出かけたのだ。
あの時代に、スクーターで出かけるなんて恵まれてるなあ、と思ったのも、そういうわけでもなかった。
バイクかスクーターを無償で提供してもらおうと、東京中を駆けずり回って、富士重工に話をつける。
条件が、1、日本国籍を明示すること。
2、音楽家であることを示すこと。
3、事故をおこさないこと。
そのために、富士重工の工場でスクーターの分解法や修理法を習って準備したというから、準備周到である。
ちなみに、スクーターは新型のラビットジュニア125ccという。
こういう発想が、出てくるのはすごいと思う。
今なら、エベレレスト遠征のための装備を、メーカーに無償で提供してもらうことがあるということは、聞いたことがある。
こういう内容は、私の記憶には全く残っていなかった。
なにしろ、初めて読んだ頃の私は、車についてもクラシック音楽についても、ほとんど知識のない高校生だった。
新潮文庫版のこの本は、あとがき、解説を含んで250ページほどで、定価430円である。
新潮社のウェブサイトを調べてみたら、まだ絶版にはなっていなくて、定価649円になっていたので、その後新刷版が出ていることになる。
内容は、こんな感じである。
履歴と貨物船での船旅篇
ヨーロッパ篇
アメリカ篇
日本、ヨーロッパ、アメリカについての考察
1959年2月1日に、貨物船淡路山丸で神戸を出港し、3月23日にフランスのマルセイユに到着する。
そして、2年半後、ニューヨークフィルハーモニックの一員として、航空機で帰国するのである。
まったく無名の駆け出し指揮者だった青年が、わずか数年で、世界的交響楽団の副指揮者となる。
読んでみて、面白いのは、小澤さんの何事にも対しても前向きなポジティブな姿勢である。
だからこそ、どんな状況であっても、それを楽しんでいるように思える。
そして、人を巻き込んで、問題に対処してしまう。
というよりも、彼を取り巻く人たちが、道をひらく手助けをしてくれる。
ヨーロッパに渡ってパリにいた頃に、ブザンソン国際指揮者コンクールに参加して、第1位になった。
この時も、応募にあたって、いろいろ問題があったが、さまざまな人たちの協力で解決している。
このコンクールの実績によって、ドイツのカラヤン指揮者コンクールに参加し、第1位となり、カラヤンに師事することになる。
さらに翌年には、アメリカのボストンで行われたバークシャー音楽祭に招待されるようなかたちで参加し、クーセヴィツキー賞を獲得し、シャルル・ミンシュに師事した。
そして、レナード・バーンステインが指揮者だったニューヨーク・フィルハーモニニックの副指揮者として迎えられ、来日公演に同行するのである。
彼が、どうして無謀とも言えるようなヨーロッパへの武者修行に出かけたのか。
彼は、このように書いている。
桐朋学園の短大の卒業直前に、ブリュッセルの青少年音楽コンクールに学園のオーケストラが参加する計画があった。
しかし、渡航費用の問題から、取り止めになってしまった。
その時に、自分ひとりだけでも、行こうと思った。
日本のスクーターでも宣伝しながら旅行すれば、できるのではないかと考えた、と書いているので、後のスクーター旅行は前々から思い描いていたことになる。
フランスの国費留学の試験に落ちたことで、この計画に踏み切ったということのようだ
もしも、彼がこの「武者修行」に出かけなかったら、どうなったのだろうと考える。
日本で、指揮者としてのキャリアをつづけていたとしたら、きっと小澤さんの生涯は大きく違ったものになっただろうという、気がする。
もしかすると、小澤さんだけではなく、日本のクラシック音楽界も違っていたかも知れない。
ヨーロッパ、アメリカ、日本のオーケストラについての考察の中で、アメリカと日本は似ているかもしれない、と言っている。
それは、歴史、伝統が短いから、守るべきものが多すぎるヨーロッパに比べて、新しいもの取り組んでいく可能性がある、というようなことである。
それでも、アメリカに比べて、日本のクラシック音楽の歴史はもっと短い。
だけれども、日本は年功序列社会である。
この本を書いた後に、小澤さんはNHK交響楽団の指揮者に就任する。
しかし、楽団員からボイコットされ、半年ほどで辞任する。
まあ、詳しいことはわからない。
遅かれ早かれ、海外に重心を置くようになっただろうな。