晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

和文タイプライターの時代

タイプライターといって、思い浮かぶのは英文タイプライターだろう。

英文タイプライターに触ったことのない人でも、私の前後の世代だったら、オリベッティというメーカーは知ってる。

洋画で、偉い人の秘書がタイプライターをパチパチ打ってるシーンが、思い浮かぶ。

 

1976年に、私が就職して着任した時、職場には和文タイプライターがあった。

ワープロが登場するまでは、和文タイプライターしかなかったのだから、事務系の職場だったらどこにでもあったんじゃないだろうか。たしか、検定試験もあって、資格が認定されていた。

英文タイプライターが、コンパクトで持ち運びのできるタイプもあったらしいのに比べて、和文タイプライターは、どっしりした機械である。

英文は、アルファベットの大文字、小文字、数字、記号を合計しても必要な文字の活字数はそれほど多くはならない。パソコンのキーボードのQWERTY配列というのは、英文タイプライターのキーの配列をそのまま使ってるそうだ。

それに比べて、和文は、当用漢字1850字に、ひらがな、カタカナ、数字、記号である。2000文字くらいだと思う。専門的な業務用もあって、活字数も多くなりそれなりの値段がしたと思う。

 

その頃は、通常の業務は手書きでやって、対外的な文書や、重要文書の作成にタイプライターを使っていた。私は、必要に応じてちょこちょこいじっていた。

長年勤務して、いろんな事務機器を扱ったが、最も印象深い事務機器は、和文タイプライターである。

これは、「小さな印刷工場」だった。

ほんとに、よくできていた。

見たことのない人には、説明するのは難しい。

A3くらいの文字一覧表があって、その下に活字収納箱がある。

なんと、そこに鉛の活字そのものが2000本収められている。それだけでも、スゴイ。

右手でカーソルを操作して、文字一覧表の該当文字にカーソルを合わせる。

左手でレバーを、バシッと押し下げると、活字収納箱の下のアームが、活字を持ち上げて、印刷用紙と重ねてあるカーボン紙に活字を押しつけて文字を転写する。

ほんとに、見事なものである。

 

文字一覧表には補充用のスペースが空いていた。人事異動で、新しい人が着任して苗字や名前がこの一覧表にない文字の場合は、活字を用意しなければならない。当用漢字しかないので、そういうことが多い。

日本タイプライターという会社に、活字一本単位で注文していた。

この会社が、大正時代に和文タイプライターをはじめて製作した会社らしい。

職場で使っていた和文タイプライターが、どこの会社か調べてみた。どうも、この会社のものではなく、「プラス」のものだったようだ。

ネットで検索していたら、和文タイプライターの現物が、3000円とかであった。ちょっと欲しくなった。何を考えているんだ、という話である。でも、活字が2000本もついている。ただ、飾りに置いておく大きさではないし。

日本タイプライターという会社は、ワープロが普及していく頃、キャノンに吸収されたのをニュースで読んだ気がする。

和文タイプライターから、ワードプロセッサーに変わっていくときに、「電子タイプライター」というのが、ブラザーから出ていた。

発想は、和文タイプライターで、活字は搭載せず、一行か二行ずつ変換していくものだった。

 

和文タイプライターを作った杉本京太氏は、日本の十大発明家に選ばれてるそうだ。

和文タイプライターはけっこう長く使われたが、ワードプロセッサーはそんなに長い命ではなかった。

でもそれがあるから、次が生まれたということでもある。

 

 

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

seiko-udoku.hatenadiary.jp