「銀河鉄道の夜」第二章は「活版所」のシーンである。
ジョバンニは、そこで活字拾いのアルバイトをしている。
「これだけ拾ってゆけるかね。」と言われ、紙切れを渡される。
拾った活字をいっぱい入れた平たい箱を渡して、小さな銀貨を受け取る。
私は、高校生のとき新聞部にいた。年6回の新聞の発行と年1回の生徒会機関誌の発行が役割だった。
同じ市内にある「北鹿新聞」というローカル新聞社にその印刷を委託していたので、試し刷りができると、校正のために、新聞社に行っていた。
ジョバンニが活字を拾っていたような部屋の片隅のテーブルで校正をした。
その部屋には、活字がぎっしり入った棚が、いっぱい並んでいた。
その新聞社は、秋田県全域ではなく県北部だけを販路としていた。
それでも、日刊紙であり存在感があった。
現在も日刊紙を発行し続けている。大変なことだと思う。
小学校の修学旅行で、秋田市にある「秋田魁新報」を見学した記憶があるが、まだ活字の時代だった。
活字を押し当てて作った型紙のようなものを見せてもらった気がする。
秋田県では、他に、県北部に二紙、県南部に一紙ある。
東北の他の県も同じような状況だ。
北海道にいたっては、道南こそ「函館新聞」一紙だが、道北、道東、道央とも十紙前後ある。
もちろん、ぜんぶ日刊紙というわけではない。
こういう時代だからこそ、選択肢が大事だと思う。
多くの選択肢があってほしい。
今は、学校新聞も業者に印刷を依頼しなくても、すべて自分たちで作ることができるだろう。
活字は、コンピュータのフォントに置き換わっている。
でも、これを逆手にとって、活字を使った印刷を売り物にする印刷会社も存在することができる。