晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

アルバイトを考える

アルバイトという言葉が、ドイツ語の「労働」や「仕事」を意味する言葉からきてるということは、ずいぶん前に知っていた。

そして、日本では雇用期間のない正規雇用に対して、雇用期間の定めがある契約による労働者を「アルバイト」と呼んでいることも知っていた。

これらは、いわゆるフルタイムであるが、それよりも労働時間が短いパートタイマーというものも現れた。

 

私は、アルバイトを高校の頃はやったことがなく、大学生になってはじめてやった。

アルバイトをやったのは、この4年間だけなのでよく覚えている。

夏休みの2ヶ月と冬休みの1ヶ月くらいにやっていた。

ということは、年間3ヶ月くらいアルバイトをしていたので、4年間で12ヶ月近く働いていたことになる。

当時の大学は、夏休みや冬休みの前後になると、やたら休講が多かった。

はるか半世紀も前の昔話と言われると思うが、でも比べて考えてみるとこの50年間がどんな時代だったかがわかると思う。

 

50年前のアルバイトを考えてみると、日当は3000円弱だった。

たぶん2800円くらいだったと思う。

卒業年次には、3500円くらいになっていた。

1日の勤務時間が、7時間だったので驚いた記憶がある。

勤務時間は8時間だとばかり思っていたのだが、昼休みを入れて8時間だった。

拘束時間が8時間で、勤務時間7時間とすると日給2800円の場合、時給が400円になる。

その頃、最低賃金は300円台だったのだろうか。

日給が3500円であれば、時給は500円になる。

現在、最低賃金が幾らかというと、横浜の神奈川県は、1,012円、東京都は、1,013円、千葉県は、925円である。

たしかに、コンビニやスーパーにはってある求人のチラシには、950円から1000円ちょっとになってた気がする。

 

就職してもらった初任給が、自分の記憶がたしかなら基本給が68,000円だった。

それまでのバイトで、日給3500円だったので月に70,000円くらいにはなってたので、こんなものなんだ、と思った。

現在の初任給がいくらかというと、同じような職種だと180,000円から185,000円というところらしい。

3倍にはなっていない。

アルバイトの日給が、現在どれくらいか調べてみたが、職種や地域で違うようだが、1万円前後というところらしい。

これは、かつての3,500円と比べると、3倍前後と言えるかもしれない。

 

私の記憶に残っているこの50年間の大きな変化は、中曽根内閣の行政改革小泉内閣郵政民営化、そして、労働者派遣事業の法制化である。

中曽根内閣が進めた行政改革のもっと大きな取り組みが、国鉄の民営化だった。

日本国有鉄道を12の会社に分割し、1987年(昭和62年)に民間会社にした。

同時に、日本電信電話公社日本専売公社も民営化している。

これによって、独立採算制の建前からくる赤字体質にけりをつけた。

中曽根内閣の行政改革では、他にも民間活力を活用するとして、それまで国や地方公共団体が抱えていた事業を民間に委託するようにした。

 

それから、小泉内閣郵政民営化を進めた。

 それまでの郵政三事業、つまり郵便、簡易保険、郵便貯金を2007年(平成17年)に民営化し、日本郵便、かんぽ生命、ゆうちょ銀行の三社にし、今まで払っていなかった法人税などの租税の徴収対象になった。

 

労働者派遣法は、1985年(昭和60年)に成立している。

そのなかで、労働者派遣を次のように定義している。

 自己の雇用する労働者を、当該雇用関係の下に、かつ、他人の指揮命令を受けて、当該他人のために労働に従事させることをいい、当該他人に対し当該労働者を当該他人に雇用させることを約してするものを含まないものとする。     第2条1項

 つまり、派遣事業者が雇用者なので、実際に労働するところとは雇用関係がないという曖昧な関係のなかで、働かなければならない。

しかも、特定の職種については、30日以内派遣(日雇)が可能というすごいことになっている。

 

私が、働き始めた頃は、「生涯雇用」と「年功序列賃金」がかなり当たり前だった。

「生涯雇用」は、労働者派遣が法制化されたり、雇用期間有りの労働者が増えていってあやしくなっている。

年功序列賃金」のようにそれまでの生活給的な賃金から、職務給などが導入されて、必ずしも生涯の生活を保障するものではなくなっている。

 

私が、就職した頃は、毎年春闘があり、ストライキで電車が止まった。

今は、そういうことはないし、テレビや新聞でも取り上げられない。

労使のせめぎ合いで賃金が決まってたのだろうが、今はそういう話題が表に出てこない。

 

この文章は、働くこととその報酬の関係が、この50年間にどのように変わったかを考えよう、と思って書き始めた。

書いているうちに、ずいぶんといろんなことが変わってしまったことに気がついた。

全く違う社会とまではいかなくても、かなり違う社会にはなってしまった、と言えるかもしれない。

 

 

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