日本人は、交通ルールをよく守るとかいうけど、日々生活していると、そうでもないんじゃないか、と思うことが多い。
ルールをよく守るって言ったって、100%というわけじゃない、比較的ということである。
全てにおいてそうだと思うが、物事の実態を考えたら、一筋縄ではいかない。
あれもあれば、これもあって、それもあるし、なかなか決めつけることはできない。
でも世の中では、なんとかは何であると、すべてがそうであるかのような表現が多い。
いろんなものが、まぜこぜになっているのが実態である。
私が利用している私鉄の最寄駅近くに、信号のある交差点がある。
一本は、駅前に向かう道路である。
もう一本は、鉄道と並行している道路であるが、20mくらいで、不思議に直角に曲がっている。
この2本の道が交差していて、スクランブル歩道になっている。
駅を利用する歩行者は、交差している道と並行する脇道を、多くの人が利用している。
その脇道から出てきたら、わずか10mも歩けば信号のある交差点である。
ところが、かなりの高い確率で、信号を使わず、停車している車と走り去る車をかき分けて車道を渡るのである。
それが、性別年齢問わずである。
高校生から、おじいさんおばあさんまでなのだ。
私は、この光景を何年も横断歩道や車窓から見てきた。
停車中の自分の車と、前の車の間を我が物顔で通り抜けて行く。
ときには、見てるだけで腹が立つことがある。
いつかは、きっと事故が起きるだろう。
もう、事故が起きてるかもしれない。
自分の身には、事故は起きないと思ってるのだろう。
世の中は、そんなものかも知れない。
通学のこどもたちが、信号待ちをしている前を、そうやって渡っているのだ。
自分の子どもや孫と一緒のときは、どうするのだろうか。
子どもや孫の手を引いて、こうやって渡るんだよ、と車の間をすり抜けるのだろうか。
交差点まで、10mほど信号の待ち時間だって、長くて1分くらいのものだろう。
きっと、本人は自分の責任で判断してやってるから、大丈夫ということなんだろうな。
毎日、毎日、そうやってなん百人の人が、車道を渡る。
今日も、繁華街の人出が昨年より多かった、とかやってた。
観光地の駐車場は、県外ナンバーでいっぱいだ。
これもきっと、自己責任で判断してます、ということなんだろう。
自分の判断で自分がどうかなるのはしょうがないけど、問題はそれに巻き込まれる人がいるよ、ってことだよなあ。
今まで、こんなに大変なことを経験してないのだから、試行錯誤でやってくしかないのだろう。
今こそ、試されているような気がする。
人間の、想像力がどの程度なのか。
かつて、危機管理とか研修会でやった気がする。
あらゆる事態を想定して、対処する準備をしておくことが大切だ。
そうしないと最悪の事態で、ドタバタしてしまう。
現状から、どういうことが予想できるのか。
できるだけ、いろんな状況を考えてみる。
オリンピックだって、やり方だけじゃなく、止めかたの準備をしてるんだろうか。
いつの時点で、こうだったら、こうするという、目に見える準備ができてれば、それに沿ってやってけばいいんだよな。
登山でもいわれたな、いかに引き返すかが大事だって。
勇気ある撤退とかいうけど、勇気じゃないよね。
どちらが最終的に、良い状況になるかを計算してるだけだ。
余計な心配を、してしまう。