晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

手書きの天気図と気象衛星の写真

今週は、しばらく天気の悪い日が続くらしい。

天気予報では、傘マークが並んでいた。

私たちの生活には、テレビの天気予報は欠かせないものに、なっている。

ときどき、予報が外れて、なんだよ、ということはあるが、だいたいはあたる。

天気予報の的中率は、85%くらいらしい。

たいしたものである。

今は、気象衛星もあるので、雨雲の写真もあって、一目瞭然である。

雲の流れもわかるので、週間の予報もできる。

 

天気予報といえば、天気図である。

大きな日本地図に、いろんな表示ができる。

小学生の頃に、天気図を書いた記憶がある。

白紙の天気図用紙が配られて、先生が場所ごとの天気や気圧や風向きなどを読み上げた。

それを、聞いて用紙にデータを書き込む。

最終的には、気圧の同じ等圧線を結んで完成だった。

考えてみたら、小学生には高度すぎる気がする。

5、6年生だと思うが、担任が理科が専門の先生だったので特別だったのかな。

天気図の記入は、どこの学校でもやってたのだろうか。

それとも、中学時代と思い違いだろうか。

 

天気図用紙は、今でも売っている。

「ラジオ用天気図用紙」となっていて、NHKの第二放送で天気図記入のためのデータを放送しているらしい。

今は、気象予報士の制度もできて、予報を業務とする会社もあるけれど、かつては予報を必要とする業界などは、自前でそれを準備しなければならなかったのだろう。

いや、気象協会というのはあったと思うが、個々の要望に応じたことはやってはくれなかったのかな。

私が、登山を始めた頃には、天気図を用意することはなかったが、もう少し前の時代は必需品だったのかもしれない。

 

テレビの天気予報は、毎日のように見ている。

そして、天気予報の気象予報士の方は、長い期間担当していることが多い。

顔と名前を知ってる気象予報士の方は、かなり多い。

気象予報士の国家試験は、1994年(平成6年)に第一回が行われたそうだ。

受験には、年齢や学歴などの制限はなくて、一般知識と専門知識の学科試験と記述式の実技試験がある。

現在の気象予報士は、10840人で、最年少は11歳11月、最年長は74歳11月ということである。

気象予報士のうち、予報業務許可事業者に就職しているものは700人程度、そのうち現象の予報を担当しているのは400〜450人ということであり、現実に気象予報を職務とすることは、かなり狭き門となるようだ。

ただ、気象予報に直接関わらなくても、いろいろな業界において、気象情報の分析や、気象コンテンツの作成は重要性を増していると言われる。

身近なところでは、スーパーやコンビニの、特に食べ物関係は、天気や気温によって、売り上げが大きく違ってしまうというのは、よく聞く。

 

気象観測所は、全国に60ヶ所あるということだ。

これは、昔ながらの有人の施設だと思う。

今は、この他に1300ヶ所の無人の観測所がある

その他にも、気象観測ボランテアみたいなのがあって、登録したメンバーがスマホで撮影した写真やデータを送るシステムもあるらしい。

これによって、観測点を増やすことができ、予報を完璧に近づけるんじゃないかな。

最近は、局地的に豪雨や突風などの災害が多い。

私の住む街は、南北にかなり広いので、結構天候の違いがある。

北部でひどく雨が降ったのに、南部ではまったく降らなかったりする。

そういうローカルな気象の変化に対応できそうだな。

 

 

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