晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

白髪は親譲り

今日は妻と出かけていたので、昼食のためにお店に入った。

斜めの席は小さな子供連れの家族だった。

食べ始めてしばらくして、ふと目を上げたら、赤ちゃんと視線が合った。

赤ちゃんがじっと、私を見ていた。

あれっと思ったが、こっちもあまり見てもと思って、視線を外した。

赤ちゃんは、お母さん抱っこされていて、まだかなり小さかった。

少し経ってからまた見たら、くりくりした目でまだ私を見ていた。

興味深そうに見ているので、相手をしてしまうとまずいかもしれないと思って、やめておいた。

 

赤ちゃんから、じーっと見られるのは、何回か経験している。

隣の席の赤ちゃんの相手をしていたら、やけになつかれてしまったこともある。

私は、それほど赤ちゃんに好かれるような顔立ちとかではないと思う。

どうしてかなと思うのだが、考えてみて思い当たるのは、白髪頭である。

真っ白というほどではないが、かなり白い。

赤ちゃんは、自分のおじいちゃんと似ているのに反応してるのかもしれない。

 

白髪が目立ちはじめたのは、40歳前後くらいだと思う。

初めのうちは気になって、カラーリンスとかをやっていた。

ところが、どうもそういうものにアレルギーがあるらしく、頭の皮膚がかゆくてどうしようもない。

まして、白髪染めなどとんでもないということで、何もしないようになった。

それからは、白髪には抵抗しないことにした。

しょうがないことだと、思うことにした。

 

私の白髪は、親譲りである。

母親は白髪だったし、母方のおじいちゃんも白髪だったので、白髪の家系である。

父親の家系は、禿げる家系である。

父は、30代ではもう頭の上部は禿げていた。

父の実家のおじさんたちは、おでこが大きく後退していた。

私としては、白髪でも、髪が無くなるよりはいいか、と思っていた。

とはいっても、60代になってからだいぶ髪が薄くなっている。

もう、あんまり気にしてはいない。

 

高校生の頃に、髪の毛に金髪が混じっているのに気がついた。

髪の毛が、金色に光っている。

これは、いったい何だろうと思った。

今考えると、それは白髪の前兆だった。

黒い色素が薄くなると、金色に見えるのだろうか。

まぎれもなく白髪になったのは、それから20年近くなってからである。

 

父は、ふだんはあまり服装に気を使う人ではなかった。

でも、お出かけする時は、いつも背広に帽子をかぶっていた。

残っている写真を見ると、おしゃれに帽子をかぶっている。

それなりに、寂しくなっている頭を気にかけていたのだと思う。

私は、帽子はあまりかぶらない。

ランニングやサイクリングの時に、かぶるくらいである。

でも運動用のキャップだと、よく飛んでしまって、めんどうである。

おしゃれの帽子もいいなとは思うが、私の性格向きではないかも知れない。

 

 

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