午後になっても雨は降っていたが、買い物に出かけた。
買い物を終えて、帰り道を歩いていると、道端にいろんな花が咲いている。
雨はたいしたことはなかったので、花を見ながら行く。
スマホで写真を撮ろうとすると、買い物袋と傘が邪魔になる。
梅雨入りしたばかりである。
やはり、今頃に咲く花は雨が似合うなあ、と思う。
妻の母親が入院している病院の前を通る。
病院の敷地と団地の道路の境が、細長い花壇になっている。
幅は1メートルないような、ささやかなものである。
それでもよく手入れされていて、いつも花が絶えない。
作業をしているのを見かけたことはないので、どんな方が手入れしてるのだろうと思っていた。
あらためて見ると、草花だけではなく、アジサイのようなものもかなり植えられいた。
アジサイも、色や形がよく見かけるようなものではないものが、多かった。
私の住む団地にも、アジサイが少しはある。
白っぽいもの、青っぽいもの、赤っぽいもの、そしてがくアジサイなどのよく見かける種類である。
そういうものとは、違ってるような気がする。
雨に濡れている花は、なぜか明るく見える。
太陽の光はないのに、明るさを感じる。
花びらも葉っぱにも、雨粒が見える。
雨の中を歩いていたら、子どもの頃聴いたうたを思い出した。
「雨に咲く花」という歌謡曲である。
とても大人っぽい感じで、もっと暗い夜の雨の印象である。
子どもだったのに、いい曲だな、と思っていた。
「井上ひろし」という歌手だったのは、記憶がある。
「雨に咲く花」と「井上ひろし」が、頭から離れなくなった。
帰ってから、ネットで調べてみた。
歌詞を見たら、とても小学生が聴くような歌ではない。
およばぬことと 諦めました
だけど恋しい あの人よ
儘になるなら いま一度
一目だけでも 逢いたいの
「雨に咲く花」というタイトルは、2番の歌詞からきているらしかった。
雨に打たれて 咲いている
花がわたしの 恋かしら
ほとんどの歌詞は、心情を述べたもので、風景や情景はまったくない。
こんな歌をいいなと思っていた小学生だった私は、我ながらかなり変わり者だったと言わざるを得ない。
この歌を調べていたら、驚くようなことがわかった。
YouTubeで聴いてみたら、井上ひろしさんは、とても丁寧にうたっていた。
そんなに複雑なメロディではないので、歌の上手い人だと小細工をしそうである。
YouTubeには、歌のうまそうな歌手のものが、たくさんあった。
それは、聴かないことにする。
「雨に咲く花」は、井上ひろしの昭和35年(1960年)のヒット曲でレコードが100万枚も売れた。
もともとは、昭和10年(1935年)の関種子という女性歌手のヒット曲で、50万枚売れたもののリバイバルである。
昭和のこの頃の50万枚や100万枚は、たぶんすごいことである。
井上ひろしは、1941年生まれなので、1960年にはまだ二十歳になっていない。
私は、1953年生まれなので、その年に小学校に入学している。
この曲を歌っていた頃まだ10代だったのは、信じられない。
井上ひろしは、「水原弘」と「守屋浩」とで、「ロカビリー三人ひろし」と呼ばれた。「かまやつひろし」とで、「四人ひろし」とも呼ばれたらしい。
ソロになる前に、ロカビリーバンドのザ・ドリフターズのメンバーだった。
ザ・ドリフターズはその後コメディ・バンドになるが、山下敬二郎や坂本九も在籍していた。
ロカビリーを歌っていた頃の歌を、聴いてみたいものだ。
「ロカビリー」という言葉を、知ってる人は少ないだろう。
「ロックンロール」と「ヒルビリー」(カントリー音楽の別名)の合成語で、カントリー色の強いロックロールのことだった。
そのロカビリーの祭典が、「ウエスタンカーニバル」だったが、もう過去のことである。
井上ひろしさんは、かなりの人気歌手だったのに、その後の姿が私の記憶に残っていない。
彼は、昭和60年(1984年)に、亡くなったのだそうだ。
生涯独身で、44歳だった。
そして、私の中には60年前の記憶が、ずっと残っている。