晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

くめじのはし② 菅江真澄テキスト

松本につきたり。
牛楯といふ処に、おもしろき滝のありと聞て、見にいかんとて清水村を通る。
こゝは、
「夏来ればふせやがしたに休らひて清水の里に栖つきにけり」
とは、いにしへ人もながめ給ひし名どころ也。
〔天註--またしらぬ人を恋せば科野なる清水の里に袖ぞ沾ける、とも聞えたり。又おなじ名播磨にもありといふ〕
此処に、柴かきゆひめぐらしたるなかに、きよげにわきかへる水あり。
かゝる泉をさして、うべ、里の名の清水とも、ながれたらんにやあらんか。
 
   たび衣むすばぬ袖も涼しきは清水の里にきたる也けり
 
しばし見とどまりて政員。
 
   立よりて聞も涼しき里の名の清水のもとに過る袂は
 
かくてゆく/\、又まさかず。
 
   友にけふ千里も行む思ひしておもひこそやれあすの別を
 
となんながめけるに返し。
 
   こぬ秋も袖ぞ露けき旅衣あすの別をけふにおもへば
 
宝輪寺におはしける尊翁法印、此月ばかり、佐久郡のなにがしの寺に行てんとかねて聞え給ひしかば、人伝にやる。
 
   おもひやるあつさはいかにあらがねのつちさへさくの水無月の空
 
兎川寺てふ寺の南に、春見たる薄河はながれたり。
 
   行袖に秋風まねく薄河ほの聞渡る音の涼しさ
とながめてすぐれば、政員。
 
   岸辺なるかげもうつりて薄河波を尾花のよるとこそ見れ
 
みちしばし来れば、
「逢阪やしみづにうつる影も見ず関路へだつる霧原の駒」
とながめしところにて、今は牧こそあらね、桐原の名のみにたちたる里あり。
やに入て休らへば、荷鞍おきたる馬いくらもひきくるは、貢のよねもてはこぶといふ。
 
   治れる御世にひかれて霧原の駒もみつぎを奉るらし
 
けふなん諏方のみやしろに、水無月はらひのかんわざありけるにまうづとて、人さはにゆきたり。
 
   けふといへばみそぎを須羽の海つらに祓やすらん風の祝子
 
やゝ牛館村になりて滝あらんかたもしらねば、みち行翁にものとはせければ、みちさきに立て、腰なる鎌に、たがくさうちはらひ、うちはらひ、雄滝といふがおちくるにあふぎたり。
上なる処にちいさきかん社あり、なにの神とかとへば、あまつ水をこひたいまつる御祠とぞいふめる。
まそで、いと寒きまでたゝずみて、
 
   涼しさは冬ともいはん岩かねに時雨て落る山のたきつせ
 
まそのごとく時雨のあめにことならず、霧ははるゝ日もなけんと、けぶりうち吹てかたる。
政員のながめ聞えたれど、わすれたればかゝず。
遠かたに王箇鼻とて、さかしき山見ゆ。
こゝをしぞきて、わきつるみちのかたはらの麻生のほとりに、細く水の行に、一葉をとりて手あらひて、あめつちの神に奉る。
 
   たび人の麻葉折て行水に流すやけふのみそぎなるらん
 
日くれて湯の原といふ処に宿つきぬ。
いはゆる筑摩の御湯となん。
「わきかへりもえてぞおもふうき人は束間のみゆか降士のけぶりか」
と、殷富門院のながめ給ひしを、修理大夫惟正、このくにのかみにて侍りけるとき、ともにまかりて源重之
「出る温泉のわくにかゝれるしら糸はくる人たへぬものにぞありける」
と、後拾遺に見えたりける此歌をはじめに、今はもはら白糸の湯と、世の中にいひながして名におへり。
 
   しらいとの名にひきながす言の葉に見ぬ世をみゆのもとにこそしれ
 
まさかず湯桁にありて、
 
   世のわざもしばしはこゝにしらいとのかゝる湯あひにわすれやはせぬ
 
ふん月朔の日けふはこゝにとどまりて、ひねもす湯あびす。
温濤の滝とおちくるかたには、こゝらのやまうど集ひたる中に、法師ひとり、さしまじらひおはしけるに、いづこよりかととへば、吉備の穴の海の辺とのみいらへ給ふてけり。
かりねの宿に帰り来てとひしかば、玉嶋の里なる円通寺に住給ふなる、国仙和尚にこそありけれ。
こはいかに、わが叔父なりけるぜじの、のりのこのかみにて、つねに聞をよびて、世中に名だたる人に、ゆくりなう今まみえしもうれしく、なにくれとかたらひて、
 
   いや高きみねこそ見つれたび衣きびの中山よしわけずとも
 
ぜじのふせやも近う、ずんさの僧達あまたの声にて、みず経聞えて、やをら、はつるころとぶらひて、なにくれの物語をす。
此ぜじの云、近きとし、君につかうまつりし士の、いがゞしたりけん、うつゝなう心みだれてとしころありつる人に、われつたなう、
「捨し身は心もひろしおほ空の雨と風とにまかせはててき」
と、ながめて見せしかば、これを三たびずし返し/\て、やがて気も心も涼しうなりて、ふたゝび君につかへしことありなど聞えしに、この歌の末の、きもじを、はといひかへて、
 
   すてし身は心もひろし大空の雨と風とにまかせはてては
 
として、その人の返しやし侍らんといへば、ぜじ、おとがひをはなちてわらひたまへば、近くまどゐしたる僧もほゝゑみたり。
二日 けふなん政員、もとせばに帰るといへる。
別、いとどものうくて、
 
   いとつらき別をやせん玉ほこの道のちまたのこのもかのもに
 
此返しとはあらで、まさかず。
 
   別路のちまたに残る言の葉を又逢ときにかくとかたらん
 
三日 夜あけなんとしける頃手あらひ、近きさかひにおましましける薄大明神にまうでんとて、朝開のみちをゆき/\て、その里になりて神籬を見奉れば、みやしろの左に、軒とひとしう高き、はたすゝきをあまた植たりけるを、あない、みたまへ、この芒はもろつまの須須支とて、ことすゝきとはかはれりなどおしへたり。
うべと、ひろまへ近うよりてぬさたいまつるとて、
 
           ぬさとれば薄のみやのほの入/\゛とあけの玉籬風の涼しさ
 
   奉る薄のみやの神垣にかこふ尾花が袖のしらゆふ

 

 

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