YouTubeのコメント欄で、このことばを見つけた。
あるバンドのメンバーを表現するのに、このことばを使っていた。
彼女は、バンドの「ハート・アンド・ソウル」(heart and soul)だと、英語で書いていた。
バンドの創設者であり、バンド自作の曲の作詞のほとんどを担当している彼女を、そのことばで表現していた。
「ボディ・アンド・ソウル」(body and soul)なら、ジャズのスタンダートな曲のタイトルにもあったし、目にする機会がある気がする。
ところで、「ハート」は、日本語にすると「こころ」とか「心臓」である。
そして、「ソウル」は、「たましい(魂)」とか「霊魂」となっている。
どちらも、人間や生きものの精神的な活動についてのことばである。
それぞれに、多様な意味を持つことばであり簡単なものではない。
私は、ことばというものについても、とても興味のある人間である。
「こころ」と「たましい」は、どのように違うものなのか気になって調べてみた。
「こころ」の語源は、「コル」や「ココル」で、動物の内臓をさしていたが、人間の体の見えないものを意味するようになったというのだが、読んでみても何のことかわからない。
古代中国でも、「心」は、心臓や腹部や胸部に宿るとされていたようだ。
「ハート(heart)」も、心臓や胸という意味を持っていることから、その辺りに心はあると思われているのだろう。
つまり、洋の東西を問わず、心は肉体の中心である心臓や腹部や胸部にあるということになる。
これに対して、「ソウル」や「たましい」は次のようになっている。
「たましい」は、「生物の肉体に宿り心の働きをつかさどると考えられるもの」である。
「ソウル」もまた、「人間が生きている間はその体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在」とされる。
「たましい」も「ソウル」も、肉体から離れても存在することが可能であるが、肉体に宿ることによってのみ、生命力を発揮できるということだろうか。
どちらも、永遠に存在するということで、生まれ変わりが可能だという考え方は共通している。
世界中の神話とか昔話などには、同じような似たものが存在するらしい。
それを考えてみると、おおもとは一緒だったのだろうか。
言語だって時代を遡ってゆくと、どれくらいの時代に、どの言語から枝分かれしたのだろうということが、わかるものらしい。
現在の人類につながるホモ・サピエンスは、アフリカに起源を持ち、世界中に広がっていったという。
現在、世界には肌の色や身長や容貌などの大きく異なる、いろんな人種が住んでいて、とても単一種から分かれていったとは思えないほどである。
長い時間をかけて、今のように変わっていったと思うと、言語や文化も、変わったもの、変わらなかったものがあってもおかしくはない気がする。