大リーグのMVPに、誰が選ばれるのかが、話題になっている。
大リーグといっても野球の大リーグMLBには、アメリカンリーグとナショナルリーグがある。
MVPに誰が選ばれるか、議論が加熱しているのは、ヤンキースとエンジェルスが所属しているアメリカンリーグである。
ヤンキースのジャッジ選手は、ホームラン争いで新記録をつくりそうな勢いである。
エンジェルスの大谷選手は、ホームラン数こそ昨年に及ばないが、投打ともにMVPを獲得した昨年を上回る成績である。
それにしても、野球という競技に於いて、MVP“Most Valuable Player"を、決めるというのは、とても難しいことだと思う。
たとえば、ゴルフやテニスのような個人競技であれば、わざわざMVPというものを選ぼうとしなくても、残された成績を見れば明らかになっているのではないだろうか。
ところが、野球やサッカーのような団体競技では、それぞれに役割の異なる多くの選手がいる。
「最も優秀な選手」を選ぶには、何を基準にして選んだらいいのだろうか。
野球ならば、投手とそれ以外の選手に、大きく分けられる。
投手にも、役割によって、「先発」、「中継ぎ」、「抑え」などがある。
投手記録としては、「勝利数」、「防御率」、「奪三振数」などが、主な「活躍度」や「貢献度」とされる。
投手以外の選手の役割は、打撃と守備がある。
特に、打撃の成績が重視されることが多く、「打率」、「本塁打」、「打点」の三つのタイトルを獲得すると「三冠王」として、表彰される。
投手については、前にあげた項目以外にも、様々な評価対象となるような項目がある。
先発、中継ぎ、抑えなどの役割の違いもあり、選手の間に甲乙をつけるのは、むずかしい問題である。
投手以外の選手についても、同様である。
結局は、さまざまな評価対象とされるべき項目の中から、特に高く評価する項目を選ばないと、選手を比較することはできない。
客観的に評価することはできないのだから、どうしても主観的なものにならざるを得ない。
比べることができないものを、比べようとしている。
比べてはいけないものを比べるという、無理なことをやることになる。
しかも、大谷選手は、「二刀流」である。
「投手」であり、かつ「投手以外の選手」でもあるという、いままでに類のない選手である。
つまり、評価の対象となるべき項目が、彼の場合は2倍になるわけで、もし、総合力で評価しようとしたら、「投手」としても「投手以外の選手」としても、トップクラスである彼には誰も勝つことはできないだろう。
これを、「投手」だけの選手や、「投手以外の選手」だけの選手と比べようとすると、どの項目でもって比べるかということになる。
私が、小学校高学年の頃に、村上雅則という投手がサンフランシスコ・ジャイアンツに入団し活躍した。
「日本人初の大リーガー」とか、「アジア人初の大リーガー」とか言われて、騒がれた。
もともとは、南海ホークス2年目の新人で、研修生としてマイナーに留学ということだったらしい。
ところが、大リーグに昇格し活躍したので、南海ホークスがあわてて、呼び戻したので、大リーグには2年だけだった。
野茂投手が、二人目の大リーガーとして、ロサンゼルス・ドジャースに入団したのは、30年後の1995年である。
テレビの野球などほとんど見ることが無くなっていた私は、衛星放送で大リーグの試合を見るようになった。
そして、日本プロ野球との試合の雰囲気の違いに驚いた。
のべつまくなし鳴り物が響いてる日本の野球と違って、大リーグの観客はメリハリのある雰囲気で試合を楽しんでいた。
その後、イチロー選手がシアトル・マリナーズに入団し「投手以外の選手」として、結果を出したのは2001年である。
野茂投手もイチロー選手も、大リーグに挑戦するにあったって、内外の評論家から否定的なことを言われたようだ。
否定的どころではなく、侮辱するような言い方もされている。
ロバート・ホワイティングという日本在住の作家兼ジャーナリストの方がいる。
「菊とバット」という日本における野球についての著作もあり、私も読んだ気がする。
その方が、イチローの大リーグ挑戦について、次のようなことを言っている。
イチローはMLBでは通用しない、アメリカに来たことを後悔するだろう。
初年度は、打率285 本塁打11 盗塁25 くらいだろう。
実際には、打率350 本塁打8 盗塁56だった。
自分の言葉を忘れたように、彼はイチローに関するいくつかの著作を書いている。
大谷選手も、大リーグ初年のオープン戦の頃には、ボロクソに言われている。
高校生レベルだとか、マイナーからスタートしたほうがいい。
人間は、自分が経験したもの、自分の記憶にあるもの、記録に残っているものを、もとにしてしか考えることしかできない。
だから、それを超えてしまっていると、能力が及ばない。
それを自覚しないで、偉そうに言葉にしてしまうから、あとで恥ずかしいことになってしまう。
言ってしまったことを、ないことにはできない。
でも、それを恥ずかしいと思わない人もいるのだな。