10年以上も前のことだ。
「夜のピクニック」という映画の広告を見ていたら、なんだこれは、俺らも同じようなことをやってたよ、と思った。
高校時代の夜の強歩大会だ。
調べてみたら、監督は、長澤雅彦1965年生まれだった。
年齢はひと回り下だったけど、私と同じ高校の出身者だった。
でも、原作者は、恩田陸さんという水戸高校の出身の作家で水戸高校を舞台にした作品だった。
きっと、旧制中学だった所は、どこでもやってたんだろうけど、監督は、自分の経験がベースにあって、映画を作ったんだろう。
水戸高校は70kmだったんだ。信じられない。
私の学校は、男子40km、女子30kmだったかな。
充分に、長かった。
夜12時出発で、学校に帰ってくる。
毎年、出発点は変わっていた。
運動部は走って3時とか4時に到着してたらしいが、文化系の私は、最初の10キロくらい走って、あとは歩いた。
真夜中にもかかわらず、ありがたいことに途中何カ所か、PTAやOB会が豚汁や飲み物の差し入れをしていた。
真っ暗な夜道を、同行の何人かと歩いていた。
何を話していたんだろうな。
とてつもなく長い時間だ。
もう明るくなった8時過ぎに到着したが、足の皮がむけていた。
1年の時は、十和田南出発でゴールしたが、2年の時は阿仁出発で、半分くらいでリタイアして、車で運ばれた。
リタイア組は、かなりいた。
3年生の時は、盲腸炎で 入院していた。
盲腸炎の痛みって、こんなに苦しいのか、という思いをした。
のたうちまわって、という言葉どおりだった。
入院中に、雫石で自衛隊機と旅客機の衝突事故があった。
強歩大会には出られなかった。
映画公開のころ、私は50代だった。
「夜の散歩」を思い出していた。
20代の馬鹿をやっていた頃のことだ。
友人たちと充分に飲んだ後に、夜の散歩と称して、公園で遊んでいた。
酔っぱらった勢いで、野球もどきやラグビーもどきのボール遊びをしていたのだ。
「夜のピクニック」については、なんていいタイトルをつけたものだ、と感心した。
しかし、映画は見ていない。
多部未華子さんが主演だったんだ。
見ておけば良かったな。
今になっても、「夜のピクニック」は、いいタイトルだ、と思う。