「忍ぶ川」という映画が、1972年5月に公開されている。
私は、映画の原作となった三浦哲郎氏の小説を読んでもいないし、特に栗原小巻さんのファンでもなかった。でも、この映画を見た記憶がある。
1972年は、私が横浜に出てきた年である。高校時代、毎月映画館に通う映画少年でもあった私がその延長で話題の映画を見たのだと思う。
映画のストーリーは、ほとんど覚えていない。
印象的だった、ひとつの光景だけが記憶にある。
栗原小巻さん演じる女性は、加藤剛さん演じる恋人の青森県の実家に泊まっている。
三浦哲郎氏は、青森県八戸市の出身ということなので、加藤剛さん演じる恋人は三浦哲郎氏の分身なのだと思える。
実家は、雪が降り積もった中にあり、しんしんと冷え込んでいる。
そこに、遠くから鈴の音が聞こえて来る。
それが、だんだんと近づいて来る。
女性は、二階の戸を開け外を見る。
すると、馬橇を引いた馬の行列が通り過ぎて行く。
馬橇には、山で切り出した材木が積まれている。
鈴を鳴らしながら、何十頭の馬橇が進んで行く。
この光景をスクリーンで見た時、俺もこれを見たことがある、と思った。
小学生だった私は、暗くなった雪景色の中に、同じ光景を見ていた。
シャンシャンシャンという鈴の音が、今でも耳に残っている。
昼に山で切り出した木材を、馬橇まで運び、積み込んで進んでくるともう暗くなっていたのだろう。
森林鉄道もあるはずだが、雪の積もる季節には走れない。
除雪は到底し切れないからである。
夏の野山よりも、雪山の方が切り出した木材を扱いやすいのもあったと思う。
まだ、トッラクなどない時代である。
馬車と馬橇だけが、輸送の手段だったのだろう。
父は、払い下げられた国有林の木材を切り出して運び出す仕事をしていた。
本人は、「山師」という言葉を使っていた。
「山師」ということばには、いくつかの意味があるがそのうちの一つである。
その仕事のために、何人もの人を雇っていた。
ある晩、酔いつぶれた父が、若い衆に馬橇で運ばれて帰ってきた。
家族で迎えた場面を覚えている。
仕事が一段落してのご苦労さまの飲み会だったのだろう。
父は、お酒は強くなかった。
家では、ほとんど飲まなかった。どちらかと言うと、甘党だった。
それから数年で、馬橇も森林鉄道もなくなる。
トラック輸送に代わってゆく。
20代の頃に、北海道に何回か行った。
襟裳岬経由で、帯広に着き釧路に向かう前に待ち時間がかなりあったので、帯広の街を散策した。
歩いているうちに、郊外になり帯広競馬場に着いた。
柵の外から中を見ていたら、レースをやっていた。
ばんえい競馬だった。
土の上を土俵を載せた馬橇をひっぱって競い合う。雪ではなく土の上である。
馬は、もちろんサラブレッドではない。道産子でもない。古くから農耕馬として使われてきたばん馬(ばんえい馬)である。
私の田舎でもやっていたことを思い出した。
町中の農家のおじさん達が、自慢の馬を大声で叱咤激励していた。
雪のない季節にやっていて、お祭りだったと思う。「馬力大会」と言っていた
今でも、北海道や東北ではローカルな催しとして残っているようだ。
公営競馬では、帯広競馬場でのみ行われているらしい。