晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

歩くこと 走ること

私は、歩くのが好きだ。JRの駅まで歩くと30分くらいだが、バスに乗るよりは歩く方がいい。

さすがにそれ以上の距離だと、よほど事情がないと歩くことはない。

妻と、ウォーキングで歩くことはある。できるだけ歩いたことがない道を、探して歩いて1時間くらいしたら、また違う道で帰る。

往復2時間くらい。歩くこと自体を楽しみにしてる。

 

バスや鉄道がなかった江戸時代の旅人は、8時間から10時間歩いたらしい。

人が1時間に歩けるのは4キロくらいなので、1日32キロから40キロになる。

一里塚というのがあって、1時間歩く間隔で作られていた。よくできてるなと思ったけど、そのように作ったものらしい。

豊臣秀吉が、それまでいろいろあった1里の基準を36町里にしたものらしい。半時(1時間)に歩ける距離を、36町(3927m)=1里にした。

おかげで、とてもわかりやすくなっている。

 

歩くのは好きだけど、1日8時間歩くとなると、ちょっとできないかな。

山歩きが好きなので、山小屋2泊か3泊の縦走をしたことがある。

山歩きだと、朝は早い。夜明けとともに行動開始で、6時間ほど歩いて、山小屋に着いて昼食である。1日の行程は午前中で終わりである。午後は、小屋の近くを散策したり、遊んで終わる。

山の天候は、午後は悪くなる可能性が高い。そして、何か緊急な事態になったことを考えて、目一杯な計画は作らない。

 

登山をしていて、登り始めでバテて苦しい思いをすることが多かった。

バテないように、トレーニングしようと思い、ランニングを始めた。

私は、子どものころから走るのは得意だった。運動会では、いい思いをしていた。

でも、一度1000m走に出て、苦しい思いをした。1000mくらいを長距離とは言わないだろうが、200、300となると心臓がバクバクで、大変だった。得意なのは短距離で、長距離は、苦手なのを自覚した。

レーニングを始めた時、やっぱり1000mが走れなかった。走っては、休み、走っては、休み、を繰り返していた。

それをやってるうちに思いついた。とりあえず、走り続けられるように走ればいいんじゃないか。

スピードは、歩くより早い程度でいいから、できるだけ長く走ろう。

そのうちに、気がつかないうちに少しずつ早くなっていった。

山登りも同じだけど、初めにバテてしまうと、回復することがない。そのまま、苦しさを引きずってしまう。

最初は、できるだけペースを抑える。遅すぎじゃないというくらいにゆっくりとスタートする。

そのうちに、体があったまってくる。ある程度までくれば、もう大丈夫。

かなり、ペースを上げても体が対応できるようになる。

 

山登りもランニングもそうだけど、自分のペースというものがある。

他の人と一緒だと、どうしても自分のペースを乱してしまう。

人それぞれなので、みんなでワイワイ喋って走るのが好きな人もいるだろう。

私は、のんびり景色を見ながら走るのがいい。

だから、山も一人で行くこともあった。

グループで行くのも楽しいけど、ひとりはひとりのよさがある。

結局のところ、それが個人的な行為なのか、それとも社会的な行為なのか、ということになるのかな。

 

 

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