この夏、京成電車の線路沿いの急斜面で生活していたヤギが話題になった。8月11日に捕獲され、3ヶ月の崖での生活を終えた。コンクリート製の擁壁で、平らな足場になる箇所が多くあったのは確かだが、かなりの急斜面でそこをスイスイと器用に移動していた。
このヤギが、佐倉市の「草ぶえの丘」で、人気ものになっているということが、テレビ番組の中で放送されていた。我が家も、子供が小さい頃に何回か利用していた。
草ぶえの丘は、佐倉市が子どもたちのためにつくった公共施設で印旛沼を望む高台にある。
ミニ鉄道やふれあい動物園、アスレチック、野菜の収穫やいろいろな体験教室、キャンプ場やログハウス、宿泊施設まである。
世界の珍しい野生バラやオールドローズ1050種2500株が植えられた本格的バラ園もある。
ヤギの飼育施設もありすでに8頭のヤギが生活していた。
ヤギではないが、北アルプスを登山していた時に、人が立ってもいられないような急斜面で自由自在に行動しているカモシカを見たことがある。信じられない思いだった。
ヤギは、漢字で山羊なので、もともとがああいうところで生きていたのだろう。
私も、子どものころヤギを飼っていた。
我が家は、いちおう農家だったのですでに牛は飼っていた。父は、本業は山仕事なので休みの日だけ農業をやってた。ふだんは、母が農業をやっていた。
牛車に家族みんなのって、田んぼ仕事に出かけたことを覚えている。田んぼを二ヶ所持ってたけど、一ヶ所は隣り村にあって遠かったのだ。
ヤギは、ちょっと情けないような鳴き声がかわいい。そのころ、オモチャみたいなカメラを買ってもらったが最初の被写体がヤギだった。ちゃんとフィルムが入っていて焼き付けもできた。
ミルクも飲んでいた。エサが野草だけのせいか、ミルクはちょっとクセがあった。
牛は、母屋で飼っていた。雪国はみんなそうだと思うが、人が住む同じ住居の中に馬や牛のスペースがあった。もちろん、人間の住む場所と動物の住む場所の間には土間があった。
雪国は、半年近くが雪のなかであり、人間と同じ屋根の下でないと寒さに耐えられないということだった思う。
父の実家は、同じ村の川向こうにあったが、馬を3頭飼っていた。
南部曲がり屋というのがあるが、これは母屋と厩がL字型になっている。かなり大きな建物である。
我が家や父の実家の建物は、直家(すごや)と言われる長方形の建物だった。
農家にとって、馬や牛は家畜というよりも半分家族だったと思う。
今は、こういう建物はほとんどないだろう。
この文章を書いていて、
どこの国の話だよ
いつの時代の話だよ
と、自分にツッコミをいれたくなった。
五、六十年前のこの国の話です。