旅行先でパン屋の前を歩いていたら、店の前に薪が積んであった。
どうもピザ窯のための燃料ということらしかった。
私は、ピザがかなり好きである。パスタよりピザが好きだ。
なので、気になってしまった。
まだ、ピザを食べたことのない学生時代に読んだ狐狸庵先生の作品に、
女子学生と「ピッツァ」を 食べた、とあって、
「ピッツァ」とは、いったいどういうものだろうと、思ったものだった。
「ピッツァ」でよかったかな、と思ってネットを見ていたら、
「ピッツァ」と「ピザ」は、まったく別のものです、とある。
ほんとかな?
イタリアのが「ピッツァ」でアメリカのが「ピザ」ということらしい。
これは、冗談だろうか?
でも帰ってから、考えてみた。
今どき、ピザ窯に薪を使うだろうか。
もし、使うとしたら毎日かなりの量になるだろうし、それだったら薪小屋を用意して保管して置くだろう。
あれは、お店の飾りだったのかな。
薪小屋といえば、田舎の我が家にもあったな。
薪ストーブが煮炊きのためのかまどでもあり、暖房のための道具でもあった。
そのための薪は、一年中必要なものだった。一年間分だとかなりの量になる。
家の敷地の中に、かなり大きな薪小屋があった。
山から切り出した木材を、薪小屋の中に積んであった。
木材は1メートルくらいの長さに切られていた。
切り出したばかりの木材は、その重量の半分以上は水分らしい。
時間をかけて乾燥させる必要がある。
水分の多い木材は、燃えにくいし、煙が出て、臭くなる。
木材は、ストーブで燃やせる薪にしなければならない。
1メートルばかりの木材をストーブに入れやすい30センチちょっとの長さに、ノコギリで切る。
それから、燃えやすい太さになるように斧で割る。
どちらも、力があればできるというものではない。要領が要る。
我が家は、父が出稼ぎで不在だったので、男手は私だけだった。
小学校の中学年くらいから、ひとりで薪小屋での仕事をやっていた。
ノコギリは、一本切るにもかなり力と時間がかかる。
斧での薪割りは、時間はそれほどでないが、瞬発的な力の使い方が必要だ
経験を積むと、だんだんと上達していった。
ストーブは、ブリキ製の薄い鉄板でできたものだった。
今は、鋳物製の高級なものがある。これだと、熱の効率もいいだろう。
着火には、杉の葉の乾燥したものを使った。茶色に変色したトゲトゲのやつである。
それから、薪を燃やすのは慣れないとできないかもしれない。
鍋での煮炊きと同時に、ヤカンでお湯を沸かすことができた。
古い農家だった父の実家には、備え付けの立派なカマドがあった。でも、新しい分家だった我が家にはなかった。
薪ストーブは、暖房器具でもあった。
でも、囲炉裏もあったな。
囲炉裏は、四角い木枠の中に灰を敷き詰めて、
その真ん中に、木炭を熾していた。
自在鉤というのがあったので、それに引っ掛ければ鍋で煮炊きをできないことないかな。
部屋を暖めるものではないので、近く寄って温まるしかない。
今になって考えるのは、薪にした木材はどう手に入れたのかな、ということ。
我が家は、山林を持っていなかったはずだ。
でも、村の共有林みたいのがあった。
あれは、村の運営のために使ってたと思うけど、
村の人たちも、自由に木材を切り出して使ってもよかったのかな。
子どもだったので、そこまでは知らなかった。