晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

薪小屋で仕事をする

 旅行先でパン屋の前を歩いていたら、店の前に薪が積んであった。

どうもピザ窯のための燃料ということらしかった。

私は、ピザがかなり好きである。パスタよりピザが好きだ。

なので、気になってしまった。

 

まだ、ピザを食べたことのない学生時代に読んだ狐狸庵先生の作品に、

女子学生と「ピッツァ」を 食べた、とあって、

「ピッツァ」とは、いったいどういうものだろうと、思ったものだった。

「ピッツァ」でよかったかな、と思ってネットを見ていたら、

「ピッツァ」と「ピザ」は、まったく別のものです、とある。

ほんとかな?

イタリアのが「ピッツァ」でアメリカのが「ピザ」ということらしい。

これは、冗談だろうか?

 

でも帰ってから、考えてみた。

今どき、ピザ窯に薪を使うだろうか。

もし、使うとしたら毎日かなりの量になるだろうし、それだったら薪小屋を用意して保管して置くだろう。

あれは、お店の飾りだったのかな。

 

薪小屋といえば、田舎の我が家にもあったな。

薪ストーブが煮炊きのためのかまどでもあり、暖房のための道具でもあった。

そのための薪は、一年中必要なものだった。一年間分だとかなりの量になる。

家の敷地の中に、かなり大きな薪小屋があった。

山から切り出した木材を、薪小屋の中に積んであった。

木材は1メートルくらいの長さに切られていた。

切り出したばかりの木材は、その重量の半分以上は水分らしい。

時間をかけて乾燥させる必要がある。

水分の多い木材は、燃えにくいし、煙が出て、臭くなる。

 

木材は、ストーブで燃やせる薪にしなければならない。

1メートルばかりの木材をストーブに入れやすい30センチちょっとの長さに、ノコギリで切る。

それから、燃えやすい太さになるように斧で割る。

どちらも、力があればできるというものではない。要領が要る。

我が家は、父が出稼ぎで不在だったので、男手は私だけだった。

小学校の中学年くらいから、ひとりで薪小屋での仕事をやっていた。

ノコギリは、一本切るにもかなり力と時間がかかる。

斧での薪割りは、時間はそれほどでないが、瞬発的な力の使い方が必要だ

経験を積むと、だんだんと上達していった。

 

ストーブは、ブリキ製の薄い鉄板でできたものだった。

今は、鋳物製の高級なものがある。これだと、熱の効率もいいだろう。

着火には、杉の葉の乾燥したものを使った。茶色に変色したトゲトゲのやつである。

それから、薪を燃やすのは慣れないとできないかもしれない。

鍋での煮炊きと同時に、ヤカンでお湯を沸かすことができた。

古い農家だった父の実家には、備え付けの立派なカマドがあった。でも、新しい分家だった我が家にはなかった。

薪ストーブは、暖房器具でもあった。

でも、囲炉裏もあったな。

囲炉裏は、四角い木枠の中に灰を敷き詰めて、

その真ん中に、木炭を熾していた。

自在鉤というのがあったので、それに引っ掛ければ鍋で煮炊きをできないことないかな。

部屋を暖めるものではないので、近く寄って温まるしかない。

 

今になって考えるのは、薪にした木材はどう手に入れたのかな、ということ。

我が家は、山林を持っていなかったはずだ。

でも、村の共有林みたいのがあった。

あれは、村の運営のために使ってたと思うけど、

村の人たちも、自由に木材を切り出して使ってもよかったのかな。

子どもだったので、そこまでは知らなかった。

 

 

 

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