晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

おはよう!こどもショー

いつの時代も、日本の家庭ではテレビは時計がわりになってるのでは、ないだろうか。

我が家でも、一番早起きの私が起きると、まずテレビの電源を入れる。

それから、洗濯機を回し、コーヒーメーカーをセットする。

あとは、テレビに表示されている時刻に従って、各自が行動する。

 

子どもたちが、小学校に通っていた頃は、毎朝、子ども向け番組を見ていた。

我が家では、山ちゃんこと山寺宏一さんがMCの「おはスタ」だった。

おはスタ」はじまるよ、と言って、子どもたちを起こしていた。

香取慎吾さんが、女装して「慎吾ママ」となって出ていた記憶がある。

この番組で使われた、「おっはー」は流行語大賞をもらったらしい。

学校まで、徒歩で10数分というところなので、番組途中の適当なところで出かけていたのだろう。

 

今や、日本の家庭にはなくてはならないテレビである。

日本で初めてNHKがテレビ放送を始めたのは、私が生まれた1953年(昭和28年)だった。

そして、NHKと民放がカラーテレビ本放送を開始したのが、1960年(昭和35年)で、私が小学校に入学した年である。

とは言っても、私の住む村にテレビがやって来たのは、それから数年かかっている。

 

私も、小学校高学年くらいには、朝から子ども向けのテレビ番組を見てから、登校していた。

私が毎朝見ていたのは、「おはよう!こどもショー」だった。

石川進さんと楠敏江さんが、歌のお兄さん、お姉さんという感じだった。

石川進さんは、パラダイスキングというバンドで、坂本九とともに歌手だったらしい。

楠敏江さんは、黒柳徹子さんとともにその頃のよくテレビに出ていて、紅白にも出ていた。

私は、着ぐるみの「ロバくん」のファンだった。

かわいい着ぐるみと、声が愛嬌があって大好きだった。

着ぐるみなので顔を見たことはないが、愛川欽也という人だということは知っていた。

学校まで、山道を歩いて30分くらいかかるので、番組の前半くらいまで見ていたのだと思う。

愛川欽也さんは、その頃声優として活躍していて、洋画の吹き替えをやっていた。

どうも、愛川欽也さんは「ロバくん」(兄)の方で、「ロバくん」(弟)もいたらしい。

そちらは、富山敬さんというやはり声優のすごい人が着ぐるみに入っていたということだ。

 

私の世代は、小学生の頃にテレビに出会っている。

もう、5、6年下の世代は、赤ちゃんの頃から「お母さんといっしょ」を見てただろう。

その世代が、ほんとうの「テレビの申し子」と言えるかもしれない。

愛川欽也さんを画面で見た時、ああこの人がロバくんなんだ、と思った。

長年司会として活躍して、数年前に亡くなった。

それを考えると、黒柳徹子さんはすごいと思う。

テレビ創生期から活躍して、今も現役である。

 

 

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