晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

きれいな野菜の皮をむく

何年か前のことだが、テレビの料理番組を見ていた。

ヨーロッパの、たぶんドイツの方が料理していた。

玉ねぎを使った料理だったが、その人は玉ねぎの皮を剥かずに、使っていた。

茶色の皮、そのままで料理していた。

玉ねぎの皮は剥いて料理するもの、と思い込んでいた私としてはショックだった。

たしかに玉ねぎの皮は、乾燥して変色しているが、腐ってるわけではなく問題ないのだ、と思った。

日本では見た目が大事なので、どんなにきれいな野菜でも必ず皮を剥いて使う。

 

日本の見た目を重視する姿勢は、日本の料理の重要な部分だと思う。

でも、あまりこだわりすぎると、失うこともあるな、と思った。

私は、農家で育ったので土というものを「きたない」とは思わない。

稲も野菜も、泥や土の栄養をもらって、その中から育ってきたのを、見てきた。

田植えも、泥の田んぼに裸足で膝まで浸かって、苗を植えていた。

同じように、虫たちも、その辺を走っていたニワトリやヤギと同じようなものである。

虫もいないような環境は、ろくなもんじゃない、と思っている。

でも、こんな感覚はなかなか理解してもらえない。

 

それでももちろん、野菜についている土は洗う。

泥ネギのような、それが売りのようなものを除けば、洗って落とさなければならない土がついた野菜は、ほとんどない。

きれいな大根の皮をむく。

きれいなニンジンの皮をむく。

皮付きのままでも大丈夫そうだけどなあ、と思いながら。

結局、大根の皮は自分用に、一緒に煮たりする。

私は、ほうれん草の根っこのところの赤いのが好きである。

だから、茹でるときにちょっと迷う。

でも結局、根っこのところは捨てる。

ポテトフライだって、皮付きの方がずっとうまいよなあ。

 

もちろん、虫だってなんでも同じわけではない。

蚊や蜘蛛のように刺されたら、大変なものだってある。

でも、ゴキブリはあんなに毛嫌いしなくてもいいんじゃないかな、と思う。

確かに、衛生的ではないかも知れないが、追放するのはしょうがないかも知れないが、命を奪うのはかわいそうだ。

バイキンのように扱うのは、ちょっと違和感がある。

子どもは、母親の影響を強く受けるので、母親が虫嫌いすぎるのは問題がある。

日本から昆虫少年が、いなくなってしまう。

子どもにとっては、昆虫は世界を広げてくれるものだ。

男の子の、別に男の子だけではないけど、子ども時代をせまいものにしてしまう。

 

生きるためには、食べなければならない。

母親が、作ってくれた料理を食べる。

自分で、作った料理を食べる。

家族が、作ってくれた料理を食べる。

料理店で、ごちそうを食べる。

 

いつも、ごちそうを食べる必要はない。

人は、自然のお裾分けをいただいてるようなものだから、たまには泥つきの野菜をかじってもいいんじゃないかな。

 

 

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