何年か前のことだが、テレビの料理番組を見ていた。
ヨーロッパの、たぶんドイツの方が料理していた。
玉ねぎを使った料理だったが、その人は玉ねぎの皮を剥かずに、使っていた。
茶色の皮、そのままで料理していた。
玉ねぎの皮は剥いて料理するもの、と思い込んでいた私としてはショックだった。
たしかに玉ねぎの皮は、乾燥して変色しているが、腐ってるわけではなく問題ないのだ、と思った。
日本では見た目が大事なので、どんなにきれいな野菜でも必ず皮を剥いて使う。
日本の見た目を重視する姿勢は、日本の料理の重要な部分だと思う。
でも、あまりこだわりすぎると、失うこともあるな、と思った。
私は、農家で育ったので土というものを「きたない」とは思わない。
稲も野菜も、泥や土の栄養をもらって、その中から育ってきたのを、見てきた。
田植えも、泥の田んぼに裸足で膝まで浸かって、苗を植えていた。
同じように、虫たちも、その辺を走っていたニワトリやヤギと同じようなものである。
虫もいないような環境は、ろくなもんじゃない、と思っている。
でも、こんな感覚はなかなか理解してもらえない。
それでももちろん、野菜についている土は洗う。
泥ネギのような、それが売りのようなものを除けば、洗って落とさなければならない土がついた野菜は、ほとんどない。
きれいな大根の皮をむく。
きれいなニンジンの皮をむく。
皮付きのままでも大丈夫そうだけどなあ、と思いながら。
結局、大根の皮は自分用に、一緒に煮たりする。
私は、ほうれん草の根っこのところの赤いのが好きである。
だから、茹でるときにちょっと迷う。
でも結局、根っこのところは捨てる。
ポテトフライだって、皮付きの方がずっとうまいよなあ。
もちろん、虫だってなんでも同じわけではない。
蚊や蜘蛛のように刺されたら、大変なものだってある。
でも、ゴキブリはあんなに毛嫌いしなくてもいいんじゃないかな、と思う。
確かに、衛生的ではないかも知れないが、追放するのはしょうがないかも知れないが、命を奪うのはかわいそうだ。
バイキンのように扱うのは、ちょっと違和感がある。
子どもは、母親の影響を強く受けるので、母親が虫嫌いすぎるのは問題がある。
日本から昆虫少年が、いなくなってしまう。
子どもにとっては、昆虫は世界を広げてくれるものだ。
男の子の、別に男の子だけではないけど、子ども時代をせまいものにしてしまう。
生きるためには、食べなければならない。
母親が、作ってくれた料理を食べる。
自分で、作った料理を食べる。
家族が、作ってくれた料理を食べる。
料理店で、ごちそうを食べる。
いつも、ごちそうを食べる必要はない。
人は、自然のお裾分けをいただいてるようなものだから、たまには泥つきの野菜をかじってもいいんじゃないかな。