晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

吹奏楽を聴いて思い出した

カーオーディオのライブラリには、いろんなジャンルの音楽が入っている。

ロック、ジャズ、フォークからクラシックと、なんでもある。

今日は、久しぶりに吹奏楽を聴いた。

ときどき、聴きたくなるのだ。

「世界のマーチ」というアルバムで、演奏は海上自衛隊中央音楽隊となっている。

行進曲なので、聴いていて、なんか気持ち良くなって、元気になる。

音楽と曲名がつながらないが、ほとんど聴いたことがある。

ディズニーランドで、まだ小さかった子どもたちとパレードを見ていたことを、思い出したりする。

このアルバムは、どこかの図書館で借りて入れたものだと思う。

もしかすると、やはり音楽好きな息子が入れたのかもしれない。

 

海上自衛隊ということだから、陸上自衛隊航空自衛隊にも音楽隊はあるだろう。

しかも、中央音楽隊ということなので、日本全国に師団があるはずで、それぞれに音楽隊があり、中央音楽隊はそのトップにあるのだろう。

学生時代に、日比谷公園の野外音楽堂で吹奏楽を見たことがあるのを、思い出した。
50年も前になるが、その頃、私は夏休みにアルバイトをやっていた。

そこで、同じ横浜市にある他の大学の学生に出会った。

お互い音楽好きだったので、そんな話をしていて、演奏会に誘われた。

私は、東急東横線綱島に住んでいたが、メトロ乗り入れの電車もあったので、乗り換え無しで「日比谷」まで行けた。

はっきりは覚えてないが、たぶん警視庁の音楽隊だったと思う。

だから、無料の演奏会だったろう。

屋外での、吹奏楽の演奏は気持ちいいものだった。

日比谷公園の野外音楽堂は、フォークやロックのメッカだったと思うが、このコンサート以外に行ったことはない。

それから、数十年して労働組合の動員で千葉から出かけ、野外音楽堂での集会に参加した記憶はある。

 

吹奏楽といえば、もう一つ思い出した。

私は、高校時代に新聞部にいた。

新聞部の部室は、大講堂にあったのだが、部室の窓の外はウエイトリフティング部の屋外練習場で、ドアの前は吹奏楽部の練習場所だった。

部室のドアを閉めても、大きな楽器の音楽は響き渡っていた。

今でも思い出すのは、レパートリーとしていた「暁に祈る」のメロディである。

「ああ あの顔で あの声で」という歌詞とともに。

「暁に祈る」は、昭和15年公開の映画で使われた戦時歌謡である。

それがどうして、昭和40年代の高校吹奏楽部のレパートリーだったのだろう。

吹奏楽部は、東北大会に出場するような伝統のある部で、毎年市民会館で定期演奏会もやっていた。

私も、2回くらい演奏会に行っている。

ラテンナンバーを得意としていて、とても盛り上がっていた。

ペレス・プラードの「マンボNO5」が人気の時代だったのだ。

「軽音楽クラブ」のフォークグループがゲストだった。

PPMやブラザースフォーの曲を初めて、生で聴いた。

 

ブラスバンド」ということばがあるが、最近聞くことがないかもしれない。

ずいぶん前に、吹奏楽にたずさわる人が言っていた。

ブラスバンドではなく、バンドです。」

その時は、ピンとこなかった。

「ブラス」というのは、金管楽器のことらしい。

木管楽器や打楽器もあるのだから、「ブラス」では都合が悪い。

そういうことだったのだろう。

 

 

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