晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

鉄道地図帳を楽しむ

年末に出かけた書店の店頭で、こんなポスターを見つけた。


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昭文社の全国鉄道地図帳の最新版が、発売されるということだ。

我が家には、地図帳は何冊もあるが、世界地図や日本地図を除けば、ほとんど「道路地図」である。

「鉄道地図」と名のつくものは、今まであまり無かったと思う。

それにしても、こんな大きな書籍のためのポスターは見たことがない。

この数年は、鉄男や鉄女という言葉があるくらい、鉄道オタクが多いらしい。

そういう状況だから、それらを対象にこんな地図帳がでるのだろう。

私は鉄道は好きだが、そこまでのめり込んではいない。

ポスターには、廃止になった鉄道も網羅してあるとなっている。

よく見ると、この地図帳は三年前に発売されたものの改訂版で、「増強版」だという。

今回の売りは、開業に至らなかった「未成線」とともに「森林鉄道」も収録してあるという。

それを見て、「おおっ、森林鉄道、これは絶対欲しい」と思った。

 

「森林鉄道」ということばで、ピンとくる人は少ないと思う。

私のように、林業の盛んな山間部で育っていなければ、見たことはないだろう。

しかも、私が小学生だった1960年代に、日本国内のほとんどの「森林鉄道」は廃止になっている。

国有林を管理していた林野庁が運営していたのだろうから、国有林事業が行われていた地域で、伐採された木材を製材所のある地域まで運搬していたのだ。

このあたりのことは、このブログに何回か書いたことがある。

田んぼの中にあった我が家と、100mくらい離れた商店との間に森林鉄道のレールが通っていた。

それが、時代がトラック輸送に変換していった。

その頃になってやっと、我が家のある村にも、バスが運行されるようになった。

だから、私にとっては、バスや鉄道よりも身近な存在だった。

もちろん、木材輸送のためのものだったので、乗ったことはない。

ja.m.wikipedia.org

ポスターには、森林鉄道合計8000kmとある。

8000kmって、すごいんじゃないか。

JRの営業距離を調べてみた。

現在の在来線はJR東日本が7400kmで、JR西日本が4900kmだった。

もっとも、国鉄が民営化によってJRになる前後に、多くのローカル線が廃止されたり、第三セクターになったので、今よりはかなり営業距離がながかっただろう。

さっそく、Amazonで注文した。

444ページで、3960円だった。

いい値段だけど、その価値はありそうだ。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/4398653120?ref=ppx_pt2_tab_b_prod_image

かつての日本列島は、人間の体の動脈や静脈のように国鉄や私鉄が身体中をつなぎ、さらに毛細血管のように森林鉄道が隅々まで延びていた、と言えるだろう。

 

注文した地図帳は、二日ほどで届いた。

とりあえず、気になる地域を開いてみる。

まず、私の郷里である秋田県、そして青森県岩手県のあたりである。

いずれの県も、かつて森林鉄道が敷設されていた。

しかし、よく見ると、青森県岩手県に比べて、秋田県に敷設されていた森林鉄道が圧倒的に多い。

森林の面積が占める割合は、どの県も同じようなものだろうが、どうしてこんなに違うのか。

秋田県は、秋田杉で知られているが、木材を商品化する取り組みが進んでいたのだろうか。

たしかに、山間の農村地帯である郷里の町では、林野庁の営林署があって、そこで勤務する人たちが多かった。

秋田県内の山間部は、この地図を見ると河川の支流に沿って森林鉄道が延びていて、ほんとに毛細血管のようである。

秋田県北部を流れる米代川の支流である「岩瀬川」が、白神山地に向かって北上している。

それに沿って敷設されていた森林鉄道「岩瀬林道」は、その本線は1966年に廃止された。

岩瀬川の支流に沿っていた支線は、1969年には全て廃止されている。

日本全国の森林鉄道も、1975年くらいには完全に姿を消したらしい。

ページをパラパラめくって、最後の沖縄県を見てみた。

沖縄には、鉄道が無いということを聞いたことがある。

鉄道地図帳ではどうなってるのか、気になったのだ。

沖縄都市モノレール」というのはあった。

2003年に開通したのだそうだ。

私が驚いたのは、戦前には沖縄にも鉄道が走っていたことである。

なんと、沖縄県の南部、那覇を中心とした地域にはかなりの鉄道が敷設されていた。

沖縄県営鉄道」というのがあって、嘉手納線、糸満線、与那原線などが那覇から伸びている。

他にも民営鉄道らしい「沖縄軌道」や「沖縄電気」などの名前ものっている。

企業線らしい「製糖工場甘蔗運搬軌道」というのもある。

しかし、すべて1944年、1945年あたりで、廃止されている。

戦況の悪化が原因だろうが、戦後どうして復活しなかったのか。

その辺の事情を、ウィキペディアでは次のように記載している。

 

 

沖縄本島では、大正時代に軽便鉄道路面電車、馬車鉄道といった数々の鉄道路線が開業したが、昭和初期に入ると沖縄電気の路面電車糸満馬車軌道がバスとの競争に敗れて廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も太平洋戦争末期の1945年3月に運行を停止し、鉄道の施設は空襲や地上戦によって破壊され、アメリカ合衆国による統治下に置かれた戦後は道路整備が優先され、残った線路も鉄不足のため回収され生活用品と成り代わった。鉄道は復旧されることなくそのまま消滅した。」

アメリカの軍政下でなければ、鉄道は復活したのではないかと思う。

終戦時は、まだ廃止して1年くらいしか経っていなかったのだから、復旧は難しいものではなかっただろう。

しかし、沖縄が日本に復帰した1972年ごろには、鉄道から自動車の時代になりつつあった。

本土は、新幹線網を全国に張り巡らしていったけれど、鉄道自体が存在しない沖縄では、新幹線をということにはならない。

私は、まだ沖縄に行ったことがない。

もしも、沖縄に鉄道があったら、魅力ある旅ができただろうな、と思う。

そういえば、佐渡にも行ったことがない。

佐渡のページを見ると、鉄道があった形跡がない。

こんなに大きな島で、鉄道が無かったというのは、大変なことだったろうな。

同じく大きな島である淡路島のページも見た。

淡路島には、淡路鉄道が島の南部を横断していた。

大正時代に開通したが、1966年に廃止された。

 

なにしろ、400ページを超えるのでデータ量がものすごい。

当分は、ゆっくりと眺めることにしよう。

 

 

seiko-udoku.hatenadiary.jp

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