天気予報では、夕方には雨が降りそうだが、昼間は大丈夫そうだ。
我孫子市立図書館に返却する本があるので、歩いて行くことにする。
自転車も考えたが、歩いた方が気持ち良さそうである。
天気が崩れる前に、帰って来れるだろう。
ついでに道の駅しょうなんのその後の様子も見たいので、手賀沼南岸から、手賀沼大橋経由で、図書館のあるアビスタに向かうことにする。
ふだんはあまり通らない道を歩いて行こうと、自宅から西方向に向かって歩き出す。
かつて三男が通っていた幼稚園のうらを通った。
今は、保育園も併設されて、「こども園」になっている。
送迎用の駐車場で、保育園児がお散歩の準備をしていた。
散歩用のカートに乗り込んで、保母さんは両手に歩きのこどもの手をにぎっている。
順番に出発していた。
なんともかわいかったが、あまり見ないように通り過ぎた。
つくしが丘の住宅地を通り抜けて行くと、東武鉄道野田線の線路にぶつかる。
線路の向こうに、小学校と中学校があるので、通学用に作られたのだと思う。
東武鉄道野田線は、2014年に「東武アーバンパークライン」というオシャレな愛称名が正式に決められたらしい。
でも、あまり浸透してるようには思えない。
1911年に千葉県営鉄道として開業し、その後北総鉄道や総武鉄道と名前を変えながら、東武鉄道野田線になったのは、1943年だというから半世紀以上経ってるわけだ。
線路も電車も特に変わってないようなので、名前だけ変えられてもすぐにはなじめないだろう。
小学校と中学校のわきを通り過ぎて行くと、その向かい側には最近まで乗馬クラブがあったはずである。
新柏駅から徒歩4、5分のところにあるという乗馬クラブが閉鎖したらしいというのは知っていた。
この道は、10年以上は歩いていない。
乗馬クラブの跡地には、ソーラーパネルがズラーっと並んでいた。
さらに進むと、反対側に雑木林があった。
我が家の次男は、小さい頃にボーイスカウトをやっていた。
この雑木林が活動場所の「野営場」だったので、毎回送り迎えをしていた。
カブスカウトという、ボーイスカウトの幼年版から始めたので小3くらいだったと思う。
雑草や石っコロの好きだった次男は、紺色の制服を着て、林の中を走り回っていた。
雑木林はなくなっていて、障害者用の支援施設、診療所、カフェなどができていた。
その裏側には、大きなゴルフ練習場があったのだが、そこには名戸ケ谷から移ってきた大きな総合病院が建設され、2年ほど前から開業している。
新柏駅から続く住宅地が、森林でさえぎられる。
森林の中を通る道を行くと、農村の風情の風景である。
地図を見ると、「上郷」となっている。
名戸ケ谷の集落に出たのだ。
ところどころに農家らしき住居の残る住宅地を進むと、県道に出る。
県道を柏方向に降って行くと、道路の向こう側に子どもの遊び場がある。
ブランコなどがあるが、子どもが遊んでるのを見たことがない。
今日も、子どもの姿はなかった。
降って行くと、前から気になっている屋敷門が、鬱蒼とした林の中に見える。
門につながる道があって、草刈りはしてあるが、ふだん使われている気配は無い。
すぐに、「中郷」というバス停があったので、村の中心だったのだろう。
この屋敷は、庄屋とか名主とかだったのだろうか。
交差点で、右に方向を変えて、大津川に向かう。
交差点にあった総合病院の建物は、すべて解体されて何も無くなっている。
次の信号を渡って、田んぼ道に出た。
信号の近くの空き地に、大きな石碑が建っていた。
「土地改良事業竣工記念乃碑」となっていて、昭和35年の日付だった。
石碑の裏に、この辺りの歴史や事業の詳細が書かれているようだったので、後で読もうと写真を撮った。
帰ってから読んでみようとしたら、日陰だったので刻まれた字を判読するのは難しかった。
田んぼ道を歩いて行くと、ところどころの田んぼは耕されているが、まだ水も入っていない。
私の郷里である秋田では、雪が融けるのを待って、田んぼづくりを始めて、苗代などの準備に忙しかった。
私の記憶では、「5月」(ごがつ)ということばは、田植え仕事のことだった。
我が家は、田んぼは少ししか持ってなかったが、田んぼの多い農家の子は、手伝いのために学校を休むのが認められてたな。
この辺りの農家は、のんびりしたものである。
秋田では、雪が降り始めるまでに、稲刈りや稲干しを終えなければならなかった。
時間との戦いでも、あったんだな。
50年以上も昔の子ども時代の記憶である。
今は、そいうこともないだろう。
大津川の土手に出たら、菜の花がまだ咲いていた。
土手を北上して、手賀沼との合流地点まで歩く。
天気が良かったので、土手には釣り人がいっぱい出ていた。
大津川河口にあるヒドリ橋からは、手賀沼南岸の遊歩道を西方向に進む。
東西に広がる手賀沼のまんなかに手賀大橋が、南北に架かる。
その橋のたもとに、「道の駅しょうなん」がある。
それまでの道の駅の西側に、何倍もの敷地の新館が建設されて、昨年12月に営業を開始した。
もともとが農産物の売り場が中心の施設だったが、その売り場面積は何倍にもなっている。
かつては、売り場は狭いけれど、旬のものが多くて安かったので、時々出かけてきていた。
しかし、新装してからは、旬のものが安いという感じはなくなっている。
品数は多いけれど、遠くまでわざわざ出かけようという気にはならなくなった。
旧館はしばらく工事のために、閉鎖されていた。
どんなふうになっているか、のぞいてみた。
旧館の農産物売り場は、半分は「ハレビノ」というベーカリーになっていた。
あとの半分は、“KIMURA PEANUTS"という看板がかかっていた。
どうも、ソフトクリームのお店らしい。
よく見ると、”MinamiBoso"という字も見えるので、どのあたりが本拠なのだろうか。
レジのスペースだったところは、「イートイン」であるらしく、すっかり明るい雰囲気になっている。
ロビーをはさんだ反対側には、レストランがある。
外側にテラス席が増設されていたが、店自体は変わってないだろうと良く見ないで帰った。
あとで、写真をよく見たら、「チャレンジ・レストラン」となっていて、柏市で飲食の開業や事業拡大を目指す店が、期間限定で入店する試みをやってるらしい。
ちょっと、楽しみである。
手賀大橋を渡って、手賀沼北岸を20分ほど歩くと、我孫子市立図書館が入っている複合施設のアビスタに着く。
受付で返却期日を過ぎてしまった書籍を返す。
図書フロアの先端にある地図コーナーに向かう。
閲覧テーブルは、明るくて広くとても気持ちいい。
さっそく、明治初期の「フランス式彩色地図」を広げる。
我孫子市立図書館の地図コーナーの地図はとてもきれいに整理されている。
「フランス式彩色地図」は、我孫子市とその周辺分とで、4セット25枚そろっていた。
地図は、すべてラミネートフィルムで保護されている。
たしかに、手にとってみるものなので、汚れ防止の点でも必要な処理だろう。
すべての地図を、ゆっくりと楽しんだ。
この地図は、手書きなので、担当者の個性がはっきりと出ている。
測図作業は、陸軍の陸地測量部が行なったので、測手と副手の2人で担当していて、それぞれ職名と氏名が記載されている。
住居や神社などの記号や、集落名や地名などの字の描き方にも違いが大きい。
今回気がついたのは、地図のタイトルである。
私の住む地域の地図のタイトルは、次のとおりである。
千葉県という県名の後に、下総国という令制国名が続いているのだ。
この地図は、明治13年10月に測図されているので、この時期ならではの表記かもしれない。
1時間ほど地図を眺めたあと、館内をひと回りしてから帰途に着いた。
アビスタの建物を出て、手賀沼公園を抜ける。
子どもの遊び場の近くで、フェンスで囲って工事が行われていた。
「オープンカフェ」の建設中です、となっていた。
子どもの遊ぶのを見ながら、お茶を飲めるのだろう。
ふりかえると、道の駅が遠くに見える。
このところ、雨もあったので、いつもより湖面は高い気がする。
北柏の先には、柏市街のビル群が見える。
歩道は、北柏の「ふるさと公園」あたりで、90度南東に方向を変える。
それほど気温が高いわけではないが、歩き続けていると汗ばんでくる。
湖面と並行していた道は、徐々に登り坂になり、柏の台地になる。
登り切ったあたりで、国道16号にぶつかり、横断歩道橋を渡る。
南東方向への道路はさらに続き、日立台の交差点である。
試合がないので、サッカー場のホームゲートはしまっていた。
ゲートの向こうに、赤い鳥居が見える。
神社の建物は見えない。
地図を見ても、神社は載っていない。
でも、大きな池があるらしいので、見てみたいものだ。
サッカー場の真前に、柏のローカルのラーメン屋である「珍来」の店舗がある。
創業80年なのだそうで、柏レイソルのスポンサーでもある。
「柏レイソル30周年」の横断幕が出ていた。
昇格したのは3年目だったが、当時の熱気はすごかった。
私も、小学生だった息子たちと応援に来たものだ。
ホームゲームだと、チケットがなかなか取れなかった。
サッカー場に近いローソンは、「レイソル・ローソン」いつもコラボしている。
ここまで来ると、私の散歩コースであるが、まだ40分くらいはある。
もうひと頑張りである。
午前10時出発、午後4時帰着だった。
一人で出かけるときには、出発前に食事するので、途中では食べない。
歩き4時間半、図書館1時間半といったところ。
万歩アプリによると、2万8千歩、22kmとなっていた。
ほんとかな。
我ながら、すごいかも。