晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

広葉樹と針葉樹

日曜日の朝に、「所さんの目がテン」という番組を久しぶりに見た。

この番組は、科学番組である。

身近なものを、いろいろ調べてみようというもので、ずいぶん昔から見てる気がする。

こどもが小さいころからなので、20年にはなるだろうと調べてみたら、1989年放送開始で30年経っている。

好奇心が旺盛で、なんでもおもしろがる所ジョージさんのブレない姿勢でもってると思う。

アシスタントの女性アナウンサーも、34年間で現在5人目なので、けっこう長い。

それに、実験プレゼンターという顔ぶれある。

 

今回は、広葉樹についてだった。

途中から見たので、正確なテーマはわからないが、日本最大の広葉樹の木材市場がある北海道で調査をやっていた。

どうも、広葉樹の木材の輸入量が減少しているので、日本国内の広葉樹が注目されているらしい。

それまでの広葉樹を輸出していた国々が、自国の自然資源の保護政策に転換したために、輸出量が減ってるということらしい。

広葉樹と言えば、針葉樹である。

スギやヒノキなどの針葉樹は、まっすぐで柔らかくて加工しやすいので、住宅用の木材に使われてきた。

これに対して、広葉樹は硬くて丈夫なので、家具などに使われてきた。

 

これらの樹木は、山に囲まれた農村で育った私にとっては、身近なものだった。

青森県との県境をなす白神山地を源流とする二つの川が南下して、秋田県北部を東西に流れる米代川に合流する。

二つの川のうちの一つの支流に沿って点在する村々がある。

水が豊富で水田がある農村ではあるが、山が迫っているので平野部のような広さの水田ではない。

水田だけでは成り立たないので、山間部で畑作もやっていた。

それに加えて、林業の存在も大きかったと思う。

我が家は、田畑を持ってはいたが、父親は「山師」をやっていた。

「山師」という言葉には、鉱脈を探す仕事や、そこから派生したらしい、投機師、詐欺師などの意味もあるらしいが、「山林の買い付けや伐採を請け負う人」という言葉本来の仕事であった。

このブログで、以前に「森林鉄道」のことを書いたことがある。

 

私の子供時代は、林野庁が日本中の山間部で植林事業をしていて、木材運搬用に森林鉄道を建設していた。

我が家の前も、田んぼを挟んで線路があって鉄道が走っていた。

バス路線が通る前の時代からである。

もちろん木材運搬用なので、乗ったことはない。

そのうちに、バスが開通し、自動車の時代になり、森林鉄道は廃止になった。

小学生のころだから、1960年代のことだ。

母親の兄さんや、私の姉の旦那さんは営林署に勤めていたのだから、営林署の存在感は大きかった。

考えてみると、山間の集落なのによろず屋のような商店が多かった。

小さな集落に2軒も3軒も商店があるところもあった。

そこから林道が分岐しているところである。

それだけ営林署に勤めている人たちが多くて、需要があったのだろう。

 

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ブログに「森林鉄道」のことを書いたのは、2年前だった。

その記事に書いていないことを、思い出した。

母親の姉が、上流の隣村に嫁いでいた。

その家の前にある畑のすぐそばを、鉄道の線路が通っていた。

我が家は、5,60メートルは離れていたが、ほんとに目の前だった。

そして、そこから数十メートルの所に、駅というほどではないが、停車場があった。

その真ん前にある製材所に木材を降ろすための停車場だった。

製材所はかなり大きくて、大勢の人が働いていた。

森林鉄道の終点は、町で唯一の国鉄の駅まで延びていたのだと思う。

国鉄の駅には、木材の積み込み用だと思われる巨大なクレーンの機械があった。

その近くには、もっと大きな製材所があった気がする。

町にとっては、木材というか、林業は大きな存在だったのだ、今になって思う。

 

父親が「山師」として国有林から払い下げを受けていたのは秋田杉であり、針葉樹である。

木材市場の暴落で事業失敗した父親が、炭焼きをやっていた時期がある。

姉と二人で、炭焼き小屋に泊まり込んでいる父を訪ねた記憶がある。

炭焼きで使う木材は、硬い広葉樹である。

その木材を炭焼釜に詰込んで、空気穴を残して密閉し、何日かかけて不完全燃焼させる。

子供時代の炊事や暖房は、まきストーブを使っていた。

燃料は硬い木材である広葉樹だった。

そのための大きなマキ小屋があって、マキを切ったり、割ったりするのは私の仕事だった。

その木材は、村の共有林で割り当てられた場所で手にいれたものである。

このことも、以前にブログに書いていた。

 

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農業だったら、春に種をまき、苗を植えれば、夏や秋には収穫ができる。

すぐに結果がでて、何倍かになって、かえってくる。

林業はそういうわけにはいかない。

早くても子の代、やっと孫の代で何とかなるか、である。

一年でやっと、年輪が一本増えるだけなのだ。

とても、個人がやれる事業ではない。

100年、200年という単位で未来を見据えなければならないので、国家がやるべき事業だろう。

 

番組にもどって、広葉樹市場がなぜ北海道にあるかである。

木材の保管には、温度が重要なのだそうだ。

場合によっては、放水によって温度を下げる必要がある、とのことだ。

だから、気温の低い北海道、たしか釧路あたりだったかな。

 

 

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