晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

登りたい山

今年になってから思い立って、これから登ってみたい山はどこか、考えてみた。今は大丈夫だけどいつまでも元気で歩けるわけじゃないだろうから、ほんとに登りたい所をはっきりさせておいた方がいいと思ったのだ。忘れてしまわないように、紙に書き出して部屋に貼ってある。

 

 ①  「岩木山

私にとって原点と言える山は「田代岳」である。田代岳は、私の郷里の山である。

小学校高学年の担任だった先生が山に導いてくれた。山で育ったから、山に登るようになるわけではない。村にそびえる「十ノ瀬山」、学校から見える「女十ノ瀬山」のあと、中学校1年の夏に、上級生たちと「田代岳」に登った。テントを担いで9合目の高層湿原に幕営した。

翌朝、頂上に登りみんなで雲海を見た。一面の雲海のなかに標高の高い山だけが、島のように浮かんでいた。その360度の雲の海のなかでひときわ素晴らしい姿を見せていたのが「岩木山」だった。独立峰である岩木山はひとり悠然としていた。そして頂上は独特の三峰状であった。雲海が消えると、津軽平野津軽半島、はるか彼方には松前半島も見えた。

この時の体験は、忘れられないものであり、その後私を登山に向かわせたのだと思う。

その岩木山から、白神山地そしてその一角をなす田代岳を見たい。

 

②「暑寒別岳

二十代最後の夏に、北海道の単独行の山旅をした。夜行急行プラス青函連絡船で往復なので10日ぐらいかかった。

暑寒別岳十勝岳斜里岳羅臼岳というメニュー。北海道を西から東へ横断である。町の旅館やホテルから、山に入り無人小屋かテントという感じだった。北海道は、たぶん3回目か4回目だったが山だけを目的とするのは初めてだった。

暑寒別岳は、前日留萌の旅館に泊まり、バス終点から雨竜沼湿原にある「避難小屋」まで歩いた。雨竜沼湿原は、とても広々していて気持ちのいいところだった。東北や北海道の山小屋は、ほとんどが無人の避難小屋である。まったく一人きりのときもある。そこで夜明かしをするのはけっこう心細い。北海道では、日本酒ではなく、焼酎のワンカップを売っていて、「さすが北海道」と感心して、ちびりちびりやっていた。

雨竜沼湿原は「北海道の尾瀬」と言われるだけあって、田代岳の湿原よりもはるかに広かった。もう一度、雨竜沼湿原をあるいてみたい。そういえば、高層湿原は火山だった証拠だと帰ってから教えてもらったなあ。

 

③「利尻岳礼文島

学生時代に、初めて北海道へ行った頃、リュックを背負ったカニ族と呼ばれる若者が闊歩していた。私はもっぱらユースホステル利用だったが、駅の軒下に寝袋で横になっている者もいっぱいいた。8月中バイトして、9月の講義が始まるまでを旅行していたのだ。

同じ頃に、妻は高校生で同じように旅していたことをあとで知った。さすが、東京の娘たちである。その頃の私は、利尻も礼文も知らなかったが、花の礼文に素晴らしいユースホステルがあったらしい。利尻岳は、利尻富士と言われる海のなかに富士山があるような島である。すぐ近くに、お花畑のような礼文島がある。最高の組み合わせである。

かつては、知る人ぞ知るだったと思うが、今はけっこう贅沢なコースになっているらしい。

行ってみたいものである。

 

 

 

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