一ばかり市田てふところにゆくに、いとおほきなる松の朶ごとに藤のまつはりて、こきむらさきに咲たり。
くれて行春をとゞめて松が枝にかかるはうれし花の藤波
かくてそのところになりて、原町といふ里にすむ池上なにがしがもとに、人のいざなひてとぶらふ。
やのぬしの云、元和三年のころならん、飯田のいなきのあるじ、脇板淡路守従五位下藤原安元と聞え給ふきみありて、此君、おほやけのことにたづさはりて、みやこに行給ふに、いましが藤原は南家にや北家にやと、かしこきおほんみことのりありけるに、
「きた南それともしらぬ紫のゆかりばかりのすゑのふぢはら」
とよみて奉り給ふを、そのころ、もはら世中のものがたりと、人ごとにいひき。
おなじころ、むさしの国池上なる根本寺の日樹上人、不受不施といふ一ののりをたてて、いさささかのことに、おほやけの、みけしきごとに此国にさすらへ、市の瀬村に、しるべ斗庵むすびて身まかりてけり。
その上人、むさしよりここに至給ふのとき、蔦木てふところにて名もおかしう、秋の日かげうつろふに、
「名にしおふ蔦木のかづらこころあらばしがらみとめよながれ行身を」
とぞ、ながめられたるとなん。
その庵のはとりを、のち池上といへば、わが家の池上も、そがあたりよりつきしにや、しらじなど、おぼめかし。
又その飯田の城は、長姫とて、この伊奈の郡のなかば也。
ひんがしの山おくに鹿塩、大河原の庄とて、頼朝のおほん日記にも、しるしたまふたる処あり。
鹿塩の東は甲斐の国鰍沢也。山中よりいづる水をくみて、これをやきて、しとしてつねにくらふ。
行水をしほ川といふ。
その枝村は柳島、市場、から山、梨原。又大河原の杖邑はいちば、たき沢、かまさは、おけや、むらさき、和曾、中尾など、手ををりをりかうがへて、なにくれのことかたりて、あな寒む、世はみな更衣ならんにといへれば、おもひつゞけたり。
いくばくの日数を旅にふるさとのなごりも夏にうつるころも手
この池上がやに、日をへてけり。
十二日 山賤めける男ども山より帰る。
夕近う里に入来て、けふは空冴え雪のふり来て、あし手しみわたり、斧うつに、手もきり行ここちして、いくたびもうちおとして、木ははつか斗とりきつる。
あの滝山の雪見てましといふをあふげば、いとしろうふりたる雪のね、きのふみざるかたに、あまたつらなりぬ。
うの花の咲とし見れば夏山の梢もたはにふれるしら雪
十三日 手を折れば、いと久しうおもへれば、
かぞへうる日数もしらじけふいくか市田の里にあかしくらして
十四日 人々と友に、ものうき旅の心やりに花をりありけば、ちいさき杜に、山振の、こがねの山なすやうに咲たるを、何神のおましませるにやと人にとへば、あら神と申て、原町のいはひでんにて待る。
そのゆへは、むかし、いささかのをかしある女をうちて、ここに、しかばねを埋みけるが、世に在けるときも、そのせしぬしをひたにうらみて、身まかりても、あらぶるこころとゞまらず、たたりをなんなしたりければ、をそりたふとみて、神とはあがめ奉る也とかたる。
山吹のおかしければ、しばし見たたずみて、
山吹の花の盛は又たぐひ世にあら神のもりのしたかげ
十五日 このいけがみがやをたちて、こころの猶ひくかたにとゆけば、山吹といふ里あり。
名におふ花の咲たるかきねもあらず、とくうつろふにやあらん。
田づらを行みちに、蛙のもろ声になくもあはれに、
花はみなちりはてぬとも山振の里の名めでて蛙鳴らし
こしに、ちいさき、かたまのごときものつけたる女あまた、野山のかたに、うちむれていきけり。
こは桑の木の林に入て、みづといひて、わか葉のめぐみたる、花のやうなるものを採て、くは子やしなひたつるといふ。
みづは水葉にやあらん。
此くはこのたねは、みちのおくのあき人よりかひとり、かく、桑の木の芽いづる時までは、くはこの、とく出こぬ寒きところにこめおき、又ここに在る山寺といふ庵の、いと寒き処の法師にあづけてひめおかせて、卯月の八日、さかぶちのをこなひに此みねに人さはにのぼりて、くは子のかひつきたる紙を手ごとに持帰り、埋火のもとにおき、あるはそびらおひて、よるひろあたためられては、いささかの春をえたるおもひやしけん、けしなどのもゆるやうになり出るを、きゞすの羽して撫るとて、はらひおとして、みづのふふみをくはせ、やしなふとか。
樫原といふところにきて、
遠近の山分衣たゞひとりたつはわびしきかしはらの里
ここにもはた、松川といへるが流たるを渡て、賢錐のうまやになりて、みち行人のかたるを聞ば、この伊那の郡には久佗といふものありて人につき、もののけとなりてくろはせける。
そのなやめるはじめは、つねのゑやみのごとく、あたたかさは、身におきのゐたるがごとく、みるめさへおそろし。
此くだてふけだものは、いみじう人をなやませる、あやしきじちはありて、神のごとく人のめには見えねど、をりとしては、いぬ、猫にとりくはるることあり。
そが形は、りし、むささびに似ていろ黒う、毛は長く生ひたれて、つめは針をうへたるがごとく、身はさゝやかながら、むくつけきものなり。
これを日にほして、ものゝけならんとおもふやまうどに、はつかばかりくはすれば、たちまちまなこは血をさし入て、かしらうちふり、けしきこゝ地ことに、たけきふるまひをなし、くちとくものいひ、ものゝけのしるしをこそあらはしけれ。
まほのゑやみする人は、くひても、たゞ、しははやき味ひを、舌の上にそれとおもふのみ、ことなれろことはあらじかし。
このころ近隣の女に、くだきつねのつきて、あふぎみ、ふしみ、声がるろばかりなき叫ぶを、けんざをよびて、よりましをたてていのりいのれば、そのよりの女子、左右に持たる、しらにぎてをさゝげ、不動そんの生るがごときみかたしろを、うちまもりてをるが、みどきやうの声たかう、法螺ふきたて、れいうちふり、すずすりのりて、やい串のごときものを女のめぐりにびしひしとさして、みさか斗のつるぎをぬきかざし、この女を今やきりてんやうに、うばそくのいかりのゝしれば、よりまし、なみだをほろほろとこぼしてうちふしぬ。
こはいかにと、ひまより見るに、やをらおきあがり、長きくろかみをかひなにかけて、たかわらひして、やまうどのうへ、のこりなう、水の行やうにとくかたるは、身の毛もいよだつ、おそろしきめをみたり。
此なにがしのあさりのとこは、世にならぶけんざはあらじかし。此ものゝけ、日をへずしていにきとかたるを、しりにつきて聞つゝゆくに、又此くだに似たるもの、つくしとやらんにもありなどいヘり。
これも又きつにはめなでくだかけの身につけ渡るためしさへうき
七窪の里に入たり。
此里に十とせばかりむかしならん、さんといふ賤女の、あやしうよろづにこゝろざしふかゝりけるが、身は茶享にいとなく、ひるは、ひねもす行かふ人にものくはせ、酒うりて、世中をわたるたつきとし、よるは結跏趺坐とて、女の身もてはぎをむすび、手をさげくみて心のほとけをみてんと、をこなるまねびして、くうつきたりけるとなん。
又月花にながめては、おかしきことの葉どもぞ多かりける。
いつのころならん、諏訪郡竜雲寺の僧、名はたれとかの、かの女のやに休らひて、女の臼ひくを見て、これなん聞つる女にこそあらめと、ちかづきて、さる人にてや侍らん、おもしろのながめもあらば、きかまくなど、ひたにとへれど、そのいらへもなう、たゞうすのみひきまはしけるつれなさに、このほうし、たゝう紙に、「人づてにその名をきくの花ならんなどくちなしの色に匂へる」とかいて、したがふわらはして女のもとにやりければ、さん子、うすを引とゞめてとりあへず、その紙のはしに、「霜がれの菊もにほはぬみちのべの花もありやと人のとふらん」とかいて、此童に返しつかはして、ねもごろに、ものかたりしとなん。
さん女、としやゝ老てけるころ、尾はりのくにより道樹上人このしなのゝ国に入給ふに、かの女のをきなまみへしかば、上人まづこゝろみに、趙州布■(礻+賛)のこゝろをいかにと、とはせ給ふこたへに、さん子、たはれたる歌つくる。
「おさんらはほさんはもたず木綿よきうちかけきれば重さしちきん」と、いらへたりけると、上人つねにかたり給ひき。
このみたりの人々もこの世にあらで、むかしものがたりとなれば、おもひ出て、行行袖かつ濡たり。
此七窪は、なゝくりのいで湯にや、いかヾ。
しりたらん人にとはまほし。
こゝにをる三石三春といふくすしは、あがふる郷に来てしりつる人なれば、そのやどをとふに、あるじあきれて、こはいかに、あなめづらしや。此国にとく来給ひしと聞しかど、そこにては、えも侍らじかしとおもへど、誰れにてもと待わびしと、心のおくなう、たれは、かれはなど、ふる郷の人のうへかたらひてくれたり。
かくて、こゝに十日斗をへて、ふたゝびとて、