晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

あきたのかりね① 菅江真澄テキスト

天明四年甲辰の九月十日、出羽の国に入たるより、おなじき、しはすの三十日の夜までかいのせ、はぐろやま、きさがたのことをしるす。

 

いではのくに田川郡鼠が関といふ、うまやのをさがやに泊りぬ。

これよりなべて庄内とよぶ。

こゝより、なにさ、かさと、言葉のしりへに、さもじつけて、ものいふことはじまりぬ。

磯よりは、けしきばかりも離れて、ちいさき嶋に弁財天女の御祠ありて、鳥居は、よせかへる浪のうへにたてり。

こヽら大なる岩のつらに、波のゆりあげたるあとより、たりながるヽ水は清の落たるやうに、黒きいはほのあはひ/\をつたふなど、しろがねの糸すぢを、あまたみだしかけたらんがごとに、入日にひかりさゝやきたり。

 

   うち見ればかけてかしこししま山の神の鳥居のなみのしらゆふ

 

十一日 このせきやをこえて、早田といふ処の畔みちをつたふに、

 

   かりあげし里のわさ田の名もしるく朽根に残る秋のひつぢほ

 

ほどなく小岩川に来けり。

西光寺に住給ふ天真上人をとぶらひて入ば、いとねもごろにのたまひて、菊もてあそび給ふたるなかに渓風といふ色よき菊を折て、これに歌あれと聞え給ふに、

 

   八重霧のまがきのしたにかぜたちてありとや匂ふ庭の菊が枝

 

世のなかのことかたりて、けふはくれたり。

十二日 雨風はげしく磯輪いかれじとて、上人、いま一日とゞまりてとのたまふにまかせて、おなじ御寺にあそびて、比里の田づらに磨(トギ)石とて、人しにうせなんころほひには、うちものとぎたるあとの、かならずみゆと人のいひけるまゝ見にまかりしかば、かなたこなたと、そがあとあらはれたるもあやし。

十三日 夜あけなんころ、なる神いたくひゞきて、はやちふき、あられひふりて、此寺の軒をうがつとおぼふに又雪のいさヽかふり出たるは、あなめづらしといへど、時しならぬはつ雪は、けしきなきおもひして、高浪の音のおそろしさに、さらに、かしらさしいだす人もなし。

くれ行ころ空はれ渡りて、名におふ月の光海の面にかヾやきて、あへかなるゆふべ、庭のくまなるかきねの菊に風落て、ゆら/\と立るもよしあるこゝちせられて、

 

   又たぐひなか空たかくてる月に光をかはすにはのしらぎく

 

あるじの上人のいはく、

 

   あれはてし庵の庭の菊ながらざほのかはらと人やめづらん

 

となん聞え給ふ返し。

 

   余所までも盛ときくの名に匂ふさほのかはらの秋は有とも

 

十四日 けふもあしたより波たかく、切通しといへる磯山いかれじとて、ゆきかひなし。

人来りて、こはおそろしき空のけしき、浜くづれうせたり。比土あぐるとて又大波よせ侍らん、それまでの日よからじ、あすも、かゝるやまぢふかんとかたる。

やまぢとは、北より吹来る風をいへり。

十五日 この寺をたちて住吉阪をくだり、釜井阪のきり通しとて、いはほをわかちて人越たり。

此あたりことなくくれば、はまの温海(アツミ)にいたる。

山のあつみ(湯温海)といふ処にありける、いで湯に行とて、みちもさりあへず人のかよひぬ。

このあたりの里なるとまる人も、まち人も、なべてむすめ持たらんかぎりは、あそびくぐつにやるをならはしにせり。

こを、はまのおばとよぶとぞ。

暮坪の立石とて、大なる高き石海中にありけるに、なにくれ、もみぢたる梢に松のまじりたるなど、世中に沙もてものしける、もてあそびのうつわみたらんがごとし。

やぶけとやらんいひて、こゝを源義経のうまはのあとなど、磯のいはほを塩だはらとよぶ、たはらつみたるがごとし。

又こなたは綿など重ねあげたらんにひとしと、行人ゆびさしたり。

鈴田に来けり。

過つるとし世中やはしがりつれど、此秋のなりはひ、いとよしなど人のかたりもて行を聞て、

 

   八束たる鈴田のいなほうち靡きことしは民のゆたかなるらし

 

滝あり、名を例の不動のといへり。

はまの五十川(イラカワ)に至り、つぎ橋を渡りて鳶谷阪(トヒヤサカ)のうへよりあたりのぞむに、いとよきところと人のいへど、雨雲たちかさなりて、ほゐ(本意)なくこえたり。

このくにのならひとて、かしらには、どもつかうといふものを着て、頭巾をそがうへにかうぶり、又手布(タンノ)とて三尺にあまる布を、おとがひよりいたヾきにかけてむすび、眼のみ出してありく。

こは、男女、夏冬のけぢめもなくせりける。

山みちの岨なるところに、さえの神の森とて、大なる木の五尺ばかりなるを、おのはじめのかたちに作りて、藤かづらにつなぎたり。

ことなれる神のと、顔ふすにそむけて、いや(礼)し侍らぬ人多し。

鳩(波渡)といふ村に出たり。

此月のはじめに、みな家やけたる黒きはしらのみ、かなたこなたに立たり。

いにしへ円位(西行)法師こゝに一夜明し給ひて、なにがしにたまはりしとて、

「山はだの岨のたつ木に居る鳩の友よぶ声のすごきゆふぐれ」

比色紙形里の長に給ひて、遠つおやより持つたへたるを、六十とせあまりさきなるとし、かゝる火のためにやかれうせたりとかたる。

此歌、紀の国ふる畑と聞えしはいかゞ、又此鳩(波渡)にてやありけん、おぼつかなし。

はた切通しといふ処あり。磯なる岩のあなごとに、わら火ざし入て早虫といふものをとりて、小鯛つる餌とせり。

やに入て昼の飯くへば、あるじの女、かゝるきたなげなる住家なれども、

「あつみ出て来て小鳩の茶やに、はなをひともとわすれてきたが、あとで咲やらひらくやら」

とうたふも、わがある家なりとわらふ。

提口(ヒサケクチ)といふ岩つらを渡りてみちいそぐに、風いたく起りて、みの笠吹もていかん、こはいかゞせんとたゝずめば、名さへ笠とり山にて侍るとて人の過るを聞つつ、

 

   あめの日はぬれて越なん風はやみ笠とり山をわくるたび人

 

やをらくだりて、三瀬(サンゼ)のすく(宿)に宿かる。

こゝなる本明院といふうばそく(優婆塞)のやに、ふる笈のふたつありけるは、いにしへ義経やまぶしのまねして、みちのおくにかくれ行給ふとて、こゝなる薬師ぶちの御堂にしばらくとヾまり給ふとか。

さるゆへこゝに残し給ふとなん。

ひとつの笈〔長二尺六寸横一尺五寸〕のおもてに、日月天人など金色にゑりたり。

これや、よしつねのおひ給ひたるとがたり、又日月にりんほうのかたを、おなじさまにかいたる笈〔長二尺七寸横一尺八寸〕を、むさしぼうおふたるとぞ。

柄くちたる長刀あり。

かゝるうつわ、いまより何の料にか持いかんとて、みほとけに奉り給ふとなんかたりつたへき。

 

 

 

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