これは、信濃で年末まで過ごした日記である。
このあいだに真澄は、5月24日に東筑摩郡洗馬村で宗福寺洞月上人に再会し、医者可児永通を紹介され滞留することになり、付近を巡遊した。
本文には、三河を出て美濃国をとおり信濃国に入るまでの日記もあったが、「しら波にうちとられたればすべなし」となっており川を渡る際に流失したものと思われる。
真澄の自筆本の表紙には、「委寧能中道」と書かれている。
この年の8月13日から19日までは、姥捨山の名月を眺めるために出かけており、「わかこころ」として、別冊になっている。
この日記は、長期間のため全集でも40ページを超える長編である。
10回に分けて登載しようと思う。