晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

いなのなかみち③ 菅江真澄テキスト

 

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五月五日 みはるがやどをひるより出たつ。

ひとおき、ふたおき、ふななどいひて、里は、こかひのわざに露のいとまなみ、柔のさえだ折もてありき、やの中は、ところせく、かふこのこだなかけならべ、とは、田植る料に、苅しきとて、柞ならの葉などの、わが葉の梢かりつかね、馬につけて野山より田づらに、女にてもあれ、おとこにてもあれ引行を、まねぐりとて、日にもゝたび、ちたびも行かひをせり。

それを田面にしきて馬いくつも引入て、独が手に綱をとり、うたひぬ。

これを、ふませとなんいひける。

男女あけくれのいとなさに、けふのせくも、軒にあやめ、しるしばかりにさしていはひたり。

此苅敷てふことを、歌にも作り侍るべきがと人のいへば、

 

   あやめ草露もひとつにかりしきてこよひいづこに夢やむすばん

 

よたぎりといふ、石ばしるはや川を女の三人連て、いとやすげに、こしの国と、すが笠に書付たるを着て、こなたに渡りく。

 

   越え安き浅瀬しら波をしへてよたぎりながるゝ山河の水

 

飯嶋とて、よき里に出くるほどなう雨ふり来て、すべなう、ある木の下によりて、しばし笠やどりのまにはれたり。

 

   家に在るらば袖はぬらさじふる雨も椎の葉にもる飯島のさと

 

なかたぎりの川わたり福岡に至る。

光前寺といふ寺あるに、甲斐のかみたりし、信玄のもたまひし駅路の鈴とてあり。

伊奈の郡雲彩寺の、権五郎景政の、ふるきてうどとてありたるを見しにひとしかりけると、此鈴をもいへり。

景政は、いなの郡にて身まかれりけるにや、雲彩寺のかたはらに、しるしの五輪莓むしてあり。

しづくら、かねよきつるぎなどもありつるを、今は、うせたるなと、いふにてもしりぬ。

上穂といふ里の田ごとに、早苗とり植わたせるを、

 

  こゝにいまうふるわかなへ見てぞしる秋のうはほのみのるためしを

 

たぎりたぎり七たぎりあるわたりの中に、おそろしき川の、おほたぎりといふに至り、岸にたちてうかがへば水いとふかう、水そこの石たかう、箭よりも早うながるゝ音の、なりどよみてけるを、からくしてさしわたる。

此川やすく渡りうることのかたければ、よきあないを、さきにたててわたるべきわたりなり。

人ごとに、かばかりの川よと、をこのふるまひをして、ながれしにたるものの、かずをしらず。

まいて雨いささかふりても、みかさ、たかうまさりて、わたらんことかたし。

今年も旅人ふたり、ところの女もながれうせたるなどかたる。

みちしばし行て、右に、天流河ながるゝに土橋かけわたせり。

この橋より外嶋村に行て、むらのをさ、飯島なにがしとかやがやに此夜泊りてと、人のいざなふにまかせて行。

あなあやうの橋や、此あら川にといへば、さにてさふらふ、此三日よか前なる日、まねぐりする十あまりのわらは、子引つれたる馬にのりてかへりくる夕ぐれつかた、馬の子の、ちぶさ、さがしもとめんと、母うまのはらにくびさし入て行行く、おやうまの、おどりおどりてあしなんふみおとし、橋の半にして、うま人ともに、さばかりはやきあら瀬の浪におちて、はるばるとながれながれて行を、おくれ来るまねぐりの女、遠めに見て、わが馬はのり捨て、いそぎ来りしかどすべなう、声をかぎりに叫びたりければ人々来集りてけるほどに、馬は遠方の瀬より高きしにとびあがりつれど、童ははやせの浪にいざなはれて、いづこにかまぎれうせたり。はかなきことおもひやるべし。

人あまた来て、水そこを尋ね尋ねわたれどあらざりければ、遠つあふみのしほせにながれ入て、鰐にやくはれなんど、母はせ来てふしまろび、河原の石の上に、かしらうちあててなげけど、いふかひなう、きのふしがらみにかかりしとて、筏もりの見つけて、ほね斗なるをとり来しなどかたる。

 

   のる駒のせもはや川に遠近のあはときえ行水のみどりご

 

六日 こゝなる光久寺にすめる、棠庵上人にまみえんとてゆけば上人、隠元ぜじのもたまひし如意とて、つねに見しとは形もことに、さゝやかに鉄を空しくつくりて、いろいろのかねをもてくさぐさの絵をまきたるを、とうだして見せ給ふとき、

 

   見てもしれ世の人ごとになをからぬ心のごときてつのうつはを

 

七日 出たゝんといふを、あるじ、此五月雨に川水いとたかうながれ、行未も猶わづらはしからん。

はるはるまではこゝに在てととゞめぬ。

 

十二日 垣のとは、みな田面にて、男女うちまじりて、「一夜におちよ滝の水、おちてこそ、にごりもすみも見えれか」と、ちまちのをもに、声あまたしてうたふ。

まことや、いさゝかの晴まもあらで、いかばかり、ぬれてものうきこゝろやりにやうたふらんと、さうじおし明れば、ゐさらゐのごときの小川も波いやたちあふれ、庭の小草も見えす、さゝら波立たり。

 

   をとめごが心もすまず落たぎつ行水くらき五月雨の空

 

さなへとり/\うふる中に、手をそきうへてをば、あなにすとて、手ばやのうへてあまたに、うへまはされて、いづべきかたのなければ、たゞ、たちに立てけるを、ここらの男女、ゆびさし笑ひたり。

 

十五日 空はれたれば、近き辺の田歌唄ふを、さきかんと、やのあるじと友に出ありけば、はつよめ、はつむこも田植のいはひとて、つねには、そのことにゆめたづざはらぬも、おりまじりて、うふるならひなれば、おなじさまにおり立て、うふなるを、とねといひて、田うちならしたひらぐる男も、あまたの早乙女も、このむこ、よめを心にかけて、くはやといへば、こひぢの水を手ごとにすくひかけ、すくひかけ、にげ行ば追めぐり、田のあぜ、くろみちをふみしだきおひ行ば、あぜとなりの小田よりも、あまたむれ来て、そのむことらへよ、よめやるなとうちかけ/\かけられて、笠も衣も、ひぢりこにぬれて、さゝやかのやににげ入り、笠のしたにて、よゝとなきて、今よりは、なな田うへじと、まがまが/\しういふ。

むこがねは木の朶をたぐり廩のうへにのぼり、いのちしなん、ゆるしてよ、はやいはひ、これにをへなんといふを、なき居るよめのあふぎ見たるを、此女にかはりて、

 

   五月雨のはれまはあれどほすまなみつらきこびぢにぬるゝたもとは

 

これなん、さとのならはしとて、ひとよのうちにひとたび、かくなん、からきめを見けるためしにこそ。

 

 

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