八日 又牛島に至り川におりたち、こなたかなたとあさせもとむれど、水とふかければ身もうき、足もながれ、すべなければ岸辺にあがり休らふを旅人二人来て、われ、さいだちて瀬ふみしてん、つゞきたまヘ。
たか石をふんであまち侍るな、流に隋ひてわたりてよ、なたに来りてと人の手に扶られて、からうじて命いきたるおもひに、やをらわたりて、赤石邑(鯵ヶ沢町)、鯵ヶ沢の湊につきぬれば、こゝにても、舟いくつもしづみしかば、つみ来たるたからひろふとて小舟のり出、長柄のかま、くまで持たる人磯輪みち/\たり。
こよひはこゝにねなん。
九日 けふも、ていけ(天気)よけれど、やまじといふ風吹たり。
比頃のつかれにや風のこゝちにあれば、えいでたゝず、此やどりに居る。
南の雲の中よりみねのみあらはれたるは、
「不尽(富士)見てもふじとやいはん」
岩城(木)山なり。
此みねこそ磐椅(いわき)神社ならめといふ人あれど、おぼつかなけれど、もし其神のおましますにやと、遠かたながら、ぬさとりたいまつる。
見るたびに、画にかゝまほしきはこのすがたなりけり。
人とはゞふじにたぐえてみちのくのいはきの山やそれとかたらむ
十日 朝とく出る。
高きやのうへのすまゐにならび居て、戯れうた唄ふ女あり。
比里のケンホといふ、あそびくゞつなりと人のいふに、
川竹の世のうきふししやしらへけんほのかにうたふ声聞ゆ也
朝露は払ひ捨てもいかヾせんものうきたびにぬるゝ袂は
卯之木、床前(西津軽郡森田村)といふ村のこみちわけ来れば、雪のむら消え残リたるやうに、草むらに人のしら骨あまたみだれちり、あるは山高くつかねたり。
かうべなど、まれびたる穴ごとに、薄、女郎花の生出たるさま、見るこゝちもなく、あなめ/\とひとりごちたるを、しりなる人の聞て、見たまへや、こはみな、うへ死たるものゝかばね也。
過つる卯のとし(天明三年)の冬より辰の春までは、雪の中にたふれ死たるも、いまだ息かよふも数しらず、いやかさなりふして路をふたぎ、行かふものは、ふみこへ/\て通ひしかど、あやまちては、夜みちタぐれに死むくろの骨をふみ折、くちたヾれたる腹などに足ふみ入たり。
きたなきにほひ、おもひやりたまへや。
このうへたすからんとて、いき馬をとらへ、くびに綱をつけてうつばりに曳あげ、わきざし、或小刀をはらにさし、さきころし、血のしたゝるをとりて、なにくれの草の根をにてくらひたり。
あら馬ころすことを、のち/\は、馬の耳にたぎり湯をつぎいれてころし、又頭より縄もてくゝり、いキつきあへず、すなはち死うせ侍りき。其骨どもは、たき木にまぜたきてけぶりをたて、野にかけたる鶏犬をとりくらひ、かゝるくひものも尽て待れば、あがうめる子、あるははらからつかれしに、亦、ゑやみに死行待らんとするともがらあまたあるを、いまだ、きのをたえさなるを、わきざしをたて、又はむねのあたりくひやぶりて、うへ(飢)をしのぎぬ。
人くらひ侍りしものをば、くにのかみ(藩主)に命めされ侍りき。
人の肉はみたるものゝ眼は狼などのごとに光きらめき、馬くらひたる人は、なべて面色黒く、いまも多くながらへて村/\に在けり。
弘前ちかきところに娘をおきたる女ありて、此むすめ、あが母は、このとしのうへにいかゞしてか侍らん、見てんとて、みちは一日のうちにあゆみつくところなれば夕近く来つきて、ともに、ことなきことをよろこびてのち、母のいふは、ましか、つぶ/\と、はだへこへたり。
たうびたらば、うまさ、かぎりあらじかしと戯てけるを、あがはゝの空ごとながらこゝろおぼつかなく、母のいねたるをうかゞひ、みそかに戸おし明て、夜のまににげかへりたることも侍る。
かゝる世のふるまひのおそろしさ、みな、人のなすわざともおぼえず。
さながら、らせち(羅刹)、あすら(阿修羅)のすむ国なども、かゝるものにやとおぼえ、しなば死てん、いきて、うきめみんくるしさとおもひ捨しかど、あめのたすけにや、わがたちは藁を搗て餅としてくらひ、葛蕨の根をほりはみて、いままでのいのちをながらへ侍る。
比としも、過つるころのしほ風にしぶかれて、なりはひよからず。又もけかちの入こんと、ない(泣)つゝかたりて、ことみちに去ぬ。
比ものがたりまことにや、あるとある家みなたふれ、あるは、ほねのみたち、柱のみたてりけるを見つゝしのびたり。
森田、山田(森田村)、相野(本造町)、木作(造)岩城川になりぬ。綱曳たるわたしなり。
わたしもりよばふにやがてくる舟やつな手も細きわざにひかれて
こよひは五所河原(五所川原市)といふところに宿る。
十一日 空晴たり。
亀田村(鶴田町)、鶴田村(鶴田町)といふ処を過来て、
つるかめのすめる田の面はちよ万八束にみのる例をやみん
野山より、さる毛といひ、又谷地綿といふ、木のくちたるごときものを土そこより起し、うまにつけて行は、例の火にくべけるもの也。
磐城(岩木)がだけは雄鹿の角ふりたてたるやうに、雲の上に、いたヾきのみあらはれたり。
この山々を阿曾辺の杜といふとぞ。こゝにても田村の大人(坂上田村麿)おに(鬼)きり給ひたるものがたりあり。
菖蒲川邑、大相(性)邑(鶴田町)、小幡巴(板柳町)になりぬ。
薄のいさゝか生ひたる中に、むしの鳴たるを聞つつ、
一本にかくろふむしのあはれさに刈のこしけん野辺のを薄
板屋の木村(板柳町)〔天註--板屋木の文字板柳、或いふ糸柳ならんと〕の出はしに宝量宮といふ額のうち、かんやしろはなに神のおましにやあらんと、ほふりのきよめありくにとへば、まことは虚空蔵ぼさちをひめ奉りたると、しのびやかにこたえ聞えたり。
朶村(藤崎町飯田)、松の木邑など、暮れて野原のみちをたどる/\、
夕間ぐれみち行友のまねくかと寄れば尾花に秋風ぞふく
といひ捨て、行/\月のおもしろうてれば、たゞうちあふぎて、ゆきがてに、里はいづこともしらず、かり寝の床もそことさだめずうかれありきて、比月のあはれに、ふる郷の方頻におもひ出られて、
楽しさと月のした道行ほどに多かる友の俤ぞたつ
やをら里の近づきてとへば藤崎(南津軽郡藤崎町)といふところ也。
人いやどすべき方もあらねば、真蓮寺といふ、親鸞上人のながれくむ寺に一夜をといへば、あるじの法師ゆるしてけり。