晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

そとがはまかぜ② 菅江真澄テキスト

八日 又牛島に至り川におりたち、こなたかなたとあさせもとむれど、水とふかければ身もうき、足もながれ、すべなければ岸辺にあがり休らふを旅人二人来て、われ、さいだちて瀬ふみしてん、つゞきたまヘ。

たか石をふんであまち侍るな、流に隋ひてわたりてよ、なたに来りてと人の手に扶られて、からうじて命いきたるおもひに、やをらわたりて、赤石邑(鯵ヶ沢町)、鯵ヶ沢の湊につきぬれば、こゝにても、舟いくつもしづみしかば、つみ来たるたからひろふとて小舟のり出、長柄のかま、くまで持たる人磯輪みち/\たり。

こよひはこゝにねなん。

九日 けふも、ていけ(天気)よけれど、やまじといふ風吹たり。

比頃のつかれにや風のこゝちにあれば、えいでたゝず、此やどりに居る。

南の雲の中よりみねのみあらはれたるは、

「不尽(富士)見てもふじとやいはん」

岩城(木)山なり。

此みねこそ磐椅(いわき)神社ならめといふ人あれど、おぼつかなけれど、もし其神のおましますにやと、遠かたながら、ぬさとりたいまつる。

見るたびに、画にかゝまほしきはこのすがたなりけり。

 

   人とはゞふじにたぐえてみちのくのいはきの山やそれとかたらむ

 

十日 朝とく出る。

高きやのうへのすまゐにならび居て、戯れうた唄ふ女あり。

比里のケンホといふ、あそびくゞつなりと人のいふに、

 

   川竹の世のうきふししやしらへけんほのかにうたふ声聞ゆ也

 

路しばしヘて浮田鯵ヶ沢町)といふ処に来けり。

 

   朝露は払ひ捨てもいかヾせんものうきたびにぬるゝ袂は

 

卯之木、床前(西津軽郡森田村)といふ村のこみちわけ来れば、雪のむら消え残リたるやうに、草むらに人のしら骨あまたみだれちり、あるは山高くつかねたり。

かうべなど、まれびたる穴ごとに、薄、女郎花の生出たるさま、見るこゝちもなく、あなめ/\とひとりごちたるを、しりなる人の聞て、見たまへや、こはみな、うへ死たるものゝかばね也。

過つる卯のとし(天明三年)の冬より辰の春までは、雪の中にたふれ死たるも、いまだ息かよふも数しらず、いやかさなりふして路をふたぎ、行かふものは、ふみこへ/\て通ひしかど、あやまちては、夜みちタぐれに死むくろの骨をふみ折、くちたヾれたる腹などに足ふみ入たり。

きたなきにほひ、おもひやりたまへや。

このうへたすからんとて、いき馬をとらへ、くびに綱をつけてうつばりに曳あげ、わきざし、或小刀をはらにさし、さきころし、血のしたゝるをとりて、なにくれの草の根をにてくらひたり。

あら馬ころすことを、のち/\は、馬の耳にたぎり湯をつぎいれてころし、又頭より縄もてくゝり、いキつきあへず、すなはち死うせ侍りき。其骨どもは、たき木にまぜたきてけぶりをたて、野にかけたる鶏犬をとりくらひ、かゝるくひものも尽て待れば、あがうめる子、あるははらからつかれしに、亦、ゑやみに死行待らんとするともがらあまたあるを、いまだ、きのをたえさなるを、わきざしをたて、又はむねのあたりくひやぶりて、うへ(飢)をしのぎぬ。

人くらひ侍りしものをば、くにのかみ(藩主)に命めされ侍りき。

人の肉はみたるものゝ眼は狼などのごとに光きらめき、馬くらひたる人は、なべて面色黒く、いまも多くながらへて村/\に在けり。

弘前ちかきところに娘をおきたる女ありて、此むすめ、あが母は、このとしのうへにいかゞしてか侍らん、見てんとて、みちは一日のうちにあゆみつくところなれば夕近く来つきて、ともに、ことなきことをよろこびてのち、母のいふは、ましか、つぶ/\と、はだへこへたり。

たうびたらば、うまさ、かぎりあらじかしと戯てけるを、あがはゝの空ごとながらこゝろおぼつかなく、母のいねたるをうかゞひ、みそかに戸おし明て、夜のまににげかへりたることも侍る。

かゝる世のふるまひのおそろしさ、みな、人のなすわざともおぼえず。

さながら、らせち(羅刹)、あすら(阿修羅)のすむ国なども、かゝるものにやとおぼえ、しなば死てん、いきて、うきめみんくるしさとおもひ捨しかど、あめのたすけにや、わがたちは藁を搗て餅としてくらひ、葛蕨の根をほりはみて、いままでのいのちをながらへ侍る。

比としも、過つるころのしほ風にしぶかれて、なりはひよからず。又もけかちの入こんと、ない(泣)つゝかたりて、ことみちに去ぬ。

比ものがたりまことにや、あるとある家みなたふれ、あるは、ほねのみたち、柱のみたてりけるを見つゝしのびたり。

森田、山田(森田村)、相野(本造町)、木作(造)岩城川になりぬ。綱曳たるわたしなり。

 

   わたしもりよばふにやがてくる舟やつな手も細きわざにひかれて

 

こよひは五所河原(五所川原市)といふところに宿る。

十一日 空晴たり。

亀田村(鶴田町)、鶴田村(鶴田町)といふ処を過来て、

 

   つるかめのすめる田の面はちよ万八束にみのる例をやみん

 

野山より、さる毛といひ、又谷地綿といふ、木のくちたるごときものを土そこより起し、うまにつけて行は、例の火にくべけるもの也。

磐城(岩木)がだけは雄鹿の角ふりたてたるやうに、雲の上に、いたヾきのみあらはれたり。

この山々を阿曾辺の杜といふとぞ。こゝにても田村の大人(坂上田村麿)おに(鬼)きり給ひたるものがたりあり。

菖蒲川邑、大相(性)邑(鶴田町)、小幡巴(板柳町)になりぬ。

薄のいさゝか生ひたる中に、むしの鳴たるを聞つつ、

 

   一本にかくろふむしのあはれさに刈のこしけん野辺のを薄

 

板屋の木村(板柳町)〔天註--板屋木の文字板柳、或いふ糸柳ならんと〕の出はしに宝量宮といふ額のうち、かんやしろはなに神のおましにやあらんと、ほふりのきよめありくにとへば、まことは虚空蔵ぼさちをひめ奉りたると、しのびやかにこたえ聞えたり。

朶村(藤崎町飯田)、松の木邑など、暮れて野原のみちをたどる/\、

 

   夕間ぐれみち行友のまねくかと寄れば尾花に秋風ぞふく

 

といひ捨て、行/\月のおもしろうてれば、たゞうちあふぎて、ゆきがてに、里はいづこともしらず、かり寝の床もそことさだめずうかれありきて、比月のあはれに、ふる郷の方頻におもひ出られて、

 

   楽しさと月のした道行ほどに多かる友の俤ぞたつ

 

やをら里の近づきてとへば藤崎(南津軽郡藤崎町)といふところ也。

人いやどすべき方もあらねば、真蓮寺といふ、親鸞上人のながれくむ寺に一夜をといへば、あるじの法師ゆるしてけり。

 

 

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