数年前に、秋田にある父の実家の当主だった伯父さんが亡くなった。伯父さんの父親は、私の父親の長兄だったが、末子だった父とは親子ほど年齢が離れていた。だから、正確には、私にとっては伯父さんではなく、従兄である。
伯父さんは、「善九郎物語」という著作を残していた。「善九郎」は、実家の屋号であり、初代の名前である。
私の育った村では、ほとんどの家が同じ苗字であることもあって、その家の初代の名前を屋号にして呼ばれていた。
伯父さんは13代目だったが、村で最も古い大本家は他にあって、実家は大本家の分家だと聞いている。
「善九郎物語」は、家の歴史を二十数ページにまとめた、小冊子である。表紙に、村の裏山のカラー写真と家紋がある。
日本全国の多くの村に無数にある家が、それぞれに家の歴史を持っている。目に見える形で記録に残さなければ、時の流れとともにその記憶は消えてしまう。
伯父さんは、なんらかの形でその記憶を残そうとしたのだと思う。
冊子は、次のことばで始まる。
わが先祖の越し方をたどり、これを子孫に伝える。いかなる道を歩もうとも決して先祖の苦難と感謝を忘れてはならない。
以下、「善九郎物語」により、あらましを述べる。
初代善九郎は、寛政12年(1798年)に没している。
六郡郡邑記(享保15年=1730年)によれば、当時当村について「12軒」とあり、善九郎家が含まれているかどうかはわからない。
村成立の状況や、他村との関係について考察している。
8代目の時代に、農地屋敷を手放す。
10代目は、秋田大林区署の斫伐定夫として、退職まで勤めあげ、田畑を買い戻し、家屋を再建する。
11代目は、明治35年越山より婿入りした。
しかし、明治37年日露戦争に招集される。秋田第17連隊は、広島県宇品港から大連に上陸、203高地占領、黒溝台の戦いに従事、翌38年に復員する。
11代目が私の祖父である。私の子ども時代は隠居していて、両親が仕事のため留守の時は子守してくれた。
12代目は、父の長兄である。
13代目が、私の伯父さん(正確には従兄)で、この著作を残した。
14代目になるはずの伯父さんの息子は、高校卒業後自宅を離れてサラリーマンになった。
「あとがき」に、こうある。
昔は爺さん婆さんが孫に言って聞かせたものだが、語り部が居なくなったというより聞く孫がいなくなった。
兄弟が、田植え稲刈りの際、酒を飲んでの昔語りを中心に、姉さんたちの証言といろいろな資料を拠りどころにまとめた、として兄弟姉妹8人の氏名を載せてある。
伯父さんが、これを残してくれたことに感謝している。
私の知らないことばかりだった。
目に見える形で残さなければ 、人とともに消える。
この冊子があれば、いつまでも残ることだろう