晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

長持唄

 私には、5歳上の姉と2歳上の姉がいる。

上の姉は、私がまだ秋田にいる頃に、隣村にお嫁に行った。

その頃は、自宅で結婚式をしていた。

嫁入り先から迎えが来て、それから迎えの一人が「長持唄」を唄った。そして、姉は、たぶん馬車に乗って嫁入り先に行った。

その時の「長持唄」は、今でも耳に残っている。

 

蝶よ 花よと
育てた娘 今日は 他人の
手に渡す

さあさお立ちだ お名残おしや
今度来る時ゃ 孫つれて

 

その何年後かに、従兄の結婚式があった。

結婚式は、町で一番立派な旅館で行われた。

時代は、変わっていた。

 

その後私は、郷里を離れ、千葉で就職した。

郷里を離れて12年くらいして、自分が結婚することになった。

妻は、当時千葉県に住んでいたが、東京で生まれ育って、親戚もほとんど東京にいた。

そこで、東京で結婚式をすることにして、公共の式場を探して、決めた。

秋田の親戚たちは、貸切バスを仕立てて来てくれた。

 

妻は、2歳年下である。

なので、ほとんど同じ時代に育っている。

でも、こども時代の話をすると、10年、20年違ううんじゃないかと思った。

私は、家族旅行など、一回もしたことがなかった。

牛車に乗って田んぼ仕事である。

妻は、家族みんなで御殿場や箱根に行ってたらしい。

私が、野山や川で遊んでた頃、妻はスケートを習っていた。

何か、時間の流れ方が違っている。

 

 日本は、広いなあと思うことが多い。

もちろん、地理的な広さもある。南北、東西に長いし。

都道府県制になる前は、それぞれが、国だった。

言葉や文化が、少しずつ違っている。

私の場合は、食文化の違いが気になる。

秋田は、なんでも甘いところがあった気がする。

こっちに来て、気がついたことだけれど、

お赤飯が甘かったし、天ぷらも甘かった。

今は、変わってるかもしれない。

今は、テレビやインターネットもあり、日本全国が同じ情報を共有している。

そのうちに、どんどん同質化していくのだろうか。

 

 

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