若かったころ、将来退職して自由になったら、どんな所に住んだら良いかなと考えたことがある。
幼い息子3人の子育てに忙しかった頃のことで、退職ははるか遠い未来の話だった。
今まで旅行で行った所、テレビなどで知った所、もちろん今まで住んだことのある所などを考えてみた。
私は、ずいぶんと引っ越しをしてきていて、住んだ所を数えてみると10カ所だった。
生まれ育った秋田で3カ所、学生時代の横浜で2カ所、勤めてからの千葉で5カ所である。
私が生まれ育った村は、西と東を山で囲まれて、村の中央を北から南に川が流れていた。
「山と川」というと、何かの合言葉のようだが、私にとっての故郷のキーワードなのである。
同じ秋田育ちの漫画家矢口高雄先生の著書に、「ボクの学校は山と川」がある。
田舎で育ったら、同じような感じなんだな。
この著書のまえがきで、少年時代のボクは、マンガ少年、釣りキチ少年、昆虫少年の三つの顔があったと書いている。
これが、「釣りキチ三平」につながってるんだな。
学生時代の4年間は、横浜に住んでいた。
綱島がかつては、綱島温泉として東京の奥座敷と言われたらしいということは、以前にこのブログにも書いた。
住居から歩いて3分ほどで、鶴見川の土手に出ることができた。
河川敷もあるので、歩いていて気持ちよかった。
その頃は、ランニングやサイクリングの趣味はなかったので、それほど頻繁に歩いてなかった。
今になって、良い所だったな、と思っている。
上流へ行けば、途中で支流が合流を繰り返している。
地図を見ると、なかなか面白そうな具合に蛇行している。
「綱島」という地名は、「つらなりしま」から来ていて、鶴見川と早渕川に挟まれていて、その中洲や中の島だったらしい。
そういえば、綱島駅の近くには「綱島公園」という小高い山があった。
この辺りは、標高3、4メートル程度の低地であるのに、この公園は30メートルを越えている。
就職してからは、千葉県北西部の「東葛飾」に住んでいる。
妻の母と弟が住んでいたので、10年以上通った。
山武町(現在山武市)は、九十九里浜に出るまで車で30分以上かかった。
5キロほど行った成東で下総台地が落ち込んで、あとは標高5メートル以下の低地が、九十九里浜まで10キロ近く続くのだ。
水田が続くなだらかな風景だが、もしも巨大な津波が来たらと思うと、それほど高くはない防波堤頼みである。
海が近いといっても、歩いて海に出れるわけではない。
山武町を拠点に、家族で房総半島によく出かけた。
九十九里浜は一宮町で終わると、何カ所か小規模な砂浜はあるが、多くは磯浜海岸である。
千葉県北部のなだらかな下総台地とは、まったく違う房総丘陵の山が海に迫っている。
山があって、海がある地形である。
場所によっては、川もある。
キーワードを満たしている。
しかも、温暖であり申し分ない。
将来住むとしたら、いいんじゃないかなと思えた。
私が育った秋田は、自分とって大事な所である。
私の父は、もう雪の積もるところには帰らなくてもいい、と言っていた。
山で仕事をしていた父とは違うと思うが、私も雪の降る所とはまったく違うところがいいな、と思うようになっていた。
育ったのは海から遠かったが、もっと海に近いところ。
寒いところだったので、もっとあったかいところ。
それも、いいなと思っていた。
私の父と妻の父が、相次いで入院して、亡くなった。
そして、子どもたちの成長などをみてるうちに、将来どこに住もうということは、考えなくなっていた。
退職して自由になった今としては、どこに住むというよりも、自分が何をするかが大事かな、と思うようになっている。
母が入院していた時は、毎日会いに行けた。
入院している妻の母にも、毎日会いに行ってたのが、コロナでできなくなった。
近くに住んでいたから、できたことだった。
面会中止になって、一年半である。
いつ解除されるのだろうか。