晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

末っ子で長男

私は、末っ子で長男である。

末っ子で長男ということは、姉がいるということだ。

5歳上の姉と2歳上の姉がいる。

末っ子で長男というのは、どれくらいの比率でいるのだろうか。

兄弟姉妹が2人でも、末っ子というのだろうか。

兄弟姉妹が、どういう組み合わせかで、ずいぶんと育つ環境が違うだろう。

 

末っ子は、たいていかわいがられて育つ。

甘やかされるかもしれない。

家業の有無によるかもしれないが、長男としてのプレッシャーがある。

家業があったら、かなり強いものになるだろう。

家業がなくても、姉は嫁いで家に居なくなるだろうから、長男である自分が残る。

後を継ぐべきものがないにしても、よくわからないプレッシャーのようなものがある。

 

私の父は、農家の7人兄弟姉妹の、末っ子で四男だった。

長男が農業を継ぎ、姉3人が他家に嫁ぎ、兄2人は、他家の養子になった。

末っ子だった父は、同じ村のなかに住居を用意してもらい、農地を分けられて分家になった。

農地は、田圃と畑だったがそれだけで、生計をたてるのに充分な広さではなかったので、山師となった。

山師は、国有林の木材の払い出しを受けて、それを伐採し、納入先まで、運ぶ仕事である。

農業は、普段は母がやっていた。

農繁期の時だけ、父が手伝っていた。

なぜ、兄弟で父だけが分家になったのか、詳しい事情はわからない。

もしかすると、末っ子であるということが大きな理由だったかもしれない。

 

私の同級生たちは、兄弟姉妹は3人というのが多かった。

父や母の時代のように、6人、7人というのは、もうなかった。

子どもは多い方がいい、という時代もあったのだ。

単純に考えて、一人っ子ばっかりだと、人口は減少していく。

2人兄弟姉妹だと、現状維持である。でも、いろいろなリスクを考えると、長期的には微減傾向だろう。

なので、3人兄弟姉妹が無難ということになるのだろう。

 

一人っ子を、国の政策とした国がある。

一人っ子ということは、両親2人と祖父母4人で、1人の子どもを育てることになる。

6人で1人を育てるのだから、大学でも、留学でもできるだろう。

でも、老後は夫婦2人で両親4人を扶養することになる。

かなり、たいへんなことである。家族だけではなく、国家として考えても

それなりに、国は長期的な展望を持って実施してきたのだろう。

 

しかも、ひとりっ子ということで、どんどん人口は減っていく。

逆ピラミッドになっていく。

2016年から、二人目が認められるように、政策を転換したようだ。

でも、半世紀にわたる制度は社会に染み込んでしまっている。

二人っ子ということは、一人にかけられる教育費が半分になるということである。

3人兄弟姉妹だったら、三分の一になる。

親としてはして、自分が受けた教育と同じものは受けさせたいだろうから、やっぱり一人っ子を選択することになるんじゃないかな。

簡単に、二人っ子にはならないし、出生率は上がらないだろう。

一度身についてしまったら、なかなか、後戻りはできないのだ。

 

日本だって、すでに人口が減りはじめている。

他人事ではないよね。

 

 

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