晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

散髪してすっきり

ひさびさに、散髪してすっきりした。

もともとが、床屋が苦手でずるずる先延ばしをしている。コロナで、さらにのびのびになっていた。

さすがに、自分でも頭が鬱陶しくて行った。

子どもの頃から、そうだったな。おふくろに、何回も何回も言われてからやっと床屋さんに行ってた。

べつに、嫌いというわけではないが、ついつい足が遠のいている。

今の床屋さんは、この2、3年行っている。年配の男性の理容師さんが二人いる。

最近多くなっている、早くて安い床屋さんである。勤め人だった頃は、普通の床屋さんに行っていた。店によっては、マッサージしたり、耳かきしてくれたり至れり尽くせりである。私は、こいう店で話すのは苦手である。向こうも心得ていて、そいう客だとわかるとあまり話しかけてこない。

カットハウスというのかな、そういう店が我が家の近くにも増えてきて、私もそういう所でいいなと思い、何店か行ってみた。

でも、何か落ち着かない。

店が、せまっ苦しい感じだったり、

従業員が元気なのはいいが、騒々しかったり。

それで、結局今の店になった。静かで、落ち着ける。

 

床屋さんのことを考えていて、思い出した。

父の兄さんが理容師さんだった。

父は、農家の7人の兄弟姉妹の末っ子だった。

姉3人、兄3人だったが、すぐ上の兄さんが街の中心部で理容館をやっていた。

その頃、農家の次男以下はよその農家に婿入りするのが常だった。何故か、伯父さんは理容師になって、理容館に婿入りした。

その上の兄は、隣り村の農家に婿入りし、父は、同じ村に農地を分けてもらい家を建ててもらって分家になっていた。

伯父さんの理容館の隣は、おもちゃ屋だった。父と一緒に寄ると、いつもおもちゃをおみやげに買ってくれた。伯父さんは、上品で穏やかな人だった。

それが、子どもの頃の床屋さんの思い出だ。

 

 

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