晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

ゲームは苦手だな

世の中は、デジタル、デジタルと言われて久しい。

でも、日本ではデジタル一辺倒にならず、それまでのアナログも残している。

たとえば、スマホの時代になっても、ガラケーも少ないながらずっと作っている。

妻のように、スマホの必要性を感じない人は、それまでのものを使い続けることができる。

昨年になって、やっとスマホに変えた。

これは、日本のバランス感覚というのかな、良いところだと私は思う。

たしかに、効率的、経済的ではないかもしれないけれど、準備ができないうちは無理やり淘汰しない。

そういう感覚は、日本のいろいろなものに、反映されている。

物事には、表もあって裏もある。多角的に見れば、いろんな見方ができる。

簡単に、これがいいあれはだめとやってしまうと、間違いのもとだ。

日本に古いものが、たくさん残っているのは、それと無関係ではないと思う。

 

よく、日本の会社などのFAXが、世界から笑われている。

たしかに、メールができるのだから、それで済むのではないか。

なぜ、今どきわざわざ紙にプリントする必要があるのか。

でも、PCをどこでも持って行けるわけではない。

デスプレィの表示をどこでもみんなで確認できるか。

条件が満たされれば、FAXは無くなるだろう。

これも、バランス感覚だと思う。

私が、退職する数年前から、職場の会議がペーパーレスになった。

プリントした会議資料を用意せず、サーバーに置いてあるファイルを参加者がPCで読み込む。

会議資料をプリントして製本する必要がなくなった。

ずいぶん以前に、全員にPCは配布されていたのだから、すでに条件はできていたのだ。

切り替えるのは、遅かったかもしれない。

 

我が家では、みんなが集まるとカードゲームをよくやる。

アナログなカードゲームが、今はかなり人気らしい。

長男夫婦が大好きで、いろんなゲームを持ってくる。

見たところ、カードゲームはほとんどが外国製で、ヨーロッパ製が多いようである。

内容は、多様なもののようだ。

というのは、ゲームに私は参加しない。

私は、ゲームが苦手なのだ。

ゲームそのものが嫌いではなく、何時間もゲームを続けることが苦手である。

 

どうしてゲームが苦手か、考えてみた。

就職して、職場で新人だった頃、仕事終わりに麻雀に誘われた。

麻雀は、やったことがなかった。

何回か、参加してルールも覚えた。

麻雀自体は、嫌いではないのだが、繰返しやることが苦痛なのだ。

3回くらいやってると、もう面倒くさくなる。

これは、俺には向いてないと思った。

誘われても敬遠してるうちに、誘われなくなった。

友人は、徹夜麻雀などをやってた。

私には、どうしてあうゆうことを繰り返し繰り返しできるのかが信じられなかった。

 

時代は、「酒、タバコ、麻雀」だった。これに「パチンコ」もはいるかな。

これは、サラリーマンのたしなみ?

不思議なのは、この中でタバコは勤務中でも大丈夫だったんだな。

時代とともに、勤務中は不可になり、さらに敷地内不可なんてことになった。

私は、タバコは吸わない人なので他人事だったけど、吸う人にとってはかなり深刻だった気がする。

仕事帰りに、パチンコ誘われて、けっこう行った。

でも、やっぱり自分には向いてないと思った。

パチンコ屋ってむかしは、駅前とか繁華街にあるイメージだったけど、最近は郊外で広大な駐車場のある店が多くなっている。

ちょっと寄っていくか、ではなくて、やるために出かけて来るのだ。

どうしてこんなに多くの人が集まるのだろう。

そこで使う金があったら、ほかに使い道があるのではないだろうか。

私には、理解できない世界である。

やっぱり、好きなのかな。

それは、もうしょうがないか。

世の中、そんなもんだな。

 

 

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