晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

人間ドックを受診すること

私が、人間ドックを受診するようになったのは、父が病気で亡くなったことがきっかけだった。

父は、いくつか成人病があって、64才で亡くなった。

若い頃に長い間、出稼ぎをしていたので、その際の食生活などが病気につながったのだと思う。

亡くなる前の数年は、入院と退院を繰り返していた。

父が亡くなったあと、私の母と妻の両親に人間ドックを受診させた。

その結果、妻の父に重大な病気が見つかった。

すぐに入院したが、翌年に、三男が誕生して抱いてくれたが、妻の父は亡くなった。

父親二人を、相次いで亡くしてしまった。

私は、30代後半だった。

 

私は、小さい頃から健康に育った。

ほとんど、病院の世話になったことはない。

ただ一回の入院は、高校生だった時の盲腸炎である。

体の不調を感じることはなかったが、父親二人のことや、扶養家族が増えたことを考えて、人間ドックを受診することにした。

最寄りの私鉄駅から4駅ほどのところにある総合病院にした。

事前に予約して、当日朝に行けば、順々に検査をして、最後には担当医の説明を受けて終わる、という流れだった。

なんといっても、ここの病院の人間ドックのスシテムのいいのは、当日すべての結果が出て、お昼過ぎには終わることだった。

レントゲン写真も目の前に並べてくれて、きちんと説明してくれた。

担当医は、最初の先生がずっと担当してくれた。

前年のデータと比べてくれたりしてくれるので、とてもわかりやすい。

担当の先生は、私よりひとまわりくらい年上だと思うが、そのうちに副院長になっていた。

私が、退職した頃には院長先生になっていた。

この病院には、人間ドックでしか通わなかったが、退職するまで毎年受診して、20数年お世話になった。

 

退職してからは、時間が充分あるので市の検診を受けることにした。

市の検診は、人間ドックのように一回ではすまないが、近所の病院を選ぶことができる。

人間年をとると、私のように健康が取り柄の人間も、いろいろと不具合が出てくる。

親からもらった体質もあるし、うまくつきあっていくしかない。

私の場合も、父親のことがあったから、人間ドックを受けようと思ったが、それがなかったら病院に足を向けなかったかもしれない。

私は、30代後半から人間ドックを受けるようになったが、全体としてはどのくらいの割合の人が受けているものだろうか。

 

自分の健康に自信のある人は、あまり病院へ行きたくないし、検診などは敬遠してしまうかもしれない。

でも、人間年には勝てないので、どこかで考えを切り換えなければならない。

そういうきっかけになるものが、あればいいと思う。

たとえば、「40才無料人間ドック」とか、無料の受診システムをつくればいい。

日本では、治療医療中心でずっとやってきてるけど、予防医療に移行していいんじゃないかな。

 病気になってから治療するよりも、病気になりかけたのを見つけたり、病気にならないようにした方が、ずっといいはずだ。

予防のための検診も、保険が適用されるようにして、人間ドックを受けやすくする。

そうしたほうが、結果的には、保険財政を好転することになるんじゃないかな。

 

 

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