晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

メーデーの記憶

メーデーは、だいぶ前に過ぎてしまった。

テレビのニュースでも、ほとんど取り上げられなかった。

メーデーって、5月1日のことだよ、と言わなければわからない人も多いかもしれない。

かつては、中央集会とか言って、代々木公園や日比谷公園での様子が、必ずニュースで流れたものだ。

年中行事のように、春は賃上げのための「春闘」やストライキがあり、そして「メーデー」という流れだった。

当時は、労使協定で休日としている企業も多かったようだ。

メーデーは、世界中で「労働者の祭典」と言われていて、ゴールデンウィークの関係もあり、日本でも祝日にしようという動きがあったが、いつのまにか立ち消えになっている。

すでに、「勤労感謝の日」があったためとも言われている。

メーデーは、もともとが5月祭という古代ローマの祭りに由来していて、夏の豊穣を予祭するものだったらしい。

その祭りの際に、労使双方が休戦して、ともに祝う習慣が、「労働者の日」メーデーの始まりになったと、言われている。

春は、春闘に、交通機関ストライキもあり、やっとメーデーだという感じで、騒々しい季節だった。

今は、桜が咲いて、淡々と春は過ぎて行く。

 

日本ではバブル崩壊以降給料がほとんど上がらなくなった。

賃上げに充当すべき原資がないのだから、春闘も盛り上がらず、メーデーも話題になりにくくなってしまった。

最近では、政府が経団連に対し賃上げを要請し、それによって翌年の春闘に向けた取り組みがスタートするということになってるらく、「官製春闘」と言われている。

そういう動きの中心は、労働組合であったわけで、労働組合の存在感が低下したともいえる。

世界の他の国と比べて、日本は道路でデモ行進とかが少ない。

何年か前の一時期、国会周辺のデモで騒然としたことがあったのを、思い出した。

あれは、いったい何の問題だったんだっけ?

もう、思い出せない。

 

高校生だった頃、秋田の田舎街大館に住んでいた。

そこで、一度だけデモ行進をみたことがある。

学校帰りに、その一団に遭遇した。

「国際反戦デー」だったと思う。

ベトナムでの戦争が激しい頃だったので、それに対する運動だった。

「国際」というから、メーデーのように国際的な取り組みなのかと思っていた。

今回調べてみて、これが日本独自の取り組みであったことを知った。

1966年10月21日、日本の「総評」が「ベトナム反戦統一スト」を実施し、それにあわせて全世界の「反戦平和団体」にベトナム戦争反対を呼びかけたことに由来するものらしい。

 

世界がベトナムでの戦争に対する反対を表明していることは、高校生の私も感じていた。

地方の普通の映画館で、「ベトコン」の戦いについてのドキュメンタリー映画を、一般対象に上映していた。

私も、その映画を見ている。

 

今も、世界のいろんな国や地域で戦争が続いているのだろう。

そういう情報は、たくさんあるだろうし、探せば見つかるかもしれない。

でも、何もしない状況では目に入ってこない。

黙っていても、入ってくる情報は、ほんとに必要なのかどうか。

多すぎる情報のなかから、必要な情報を探さなければならない。

 

 

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