これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしている。
律令制による令制国が成立する前は、国造(くにのみやつこ)が治める国と、県主(あがたぬし)が治める県が並立していた。地方の豪族が支配する地域を、国や県として追認する形で国造や県主に治めさせたものである。
中央から派遣された国司が治めるために、小さな規模の国や県を支配しやすいように統合して、一つの国を成立させた。
令制国が確実に成立したのは、「大宝律令」(701年大宝元年)であるが、それ以前の645年(大化元年)に、東国へ国司を送った記録がある。
○ 統合することなく、国造の国がそのままの領域で令制国に移行したのは次の国々だけである。
山背国(やましろのくに) → 山城国 (正確には鴨県も併せている)
斐陀国(ひだのくに) → 飛騨国
稲葉国(いなばのくに) → 因幡国(いなばのくに)
伯岐国(ほうきのくに) → 伯耆国
意岐国(おきのくに) → 隠岐国
阿岐国(あきのくに) → 安芸国
淡道国(あわじのくに) → 淡路国
薩摩国(さつまのくに) → 唱更国(はやとのくに) → 薩麻国 → 薩摩国
2ヵ国統合した国 三河国、紀伊国、阿波国、土佐国、駿河国、相模国、近江国、下野国、
4ヵ国統合した国 周防国、
どの地域に、どのような名前の国や県があったのか、興味深いので、まとめてみた。
第一回で、安房国と常陸国については述べたので、その他の国々を見てみる。
① 統合する国の中の中心的な国の名称をそのまま令制国名にした例
周防国(すおうのくに)は、大島国(おおしまのくに)、周防国(すおうのくに)、波久岐国(はくきのくに)、都怒国(つぬのくに)を、統合して成立した。
大島国は、山口県大島郡周防大島町周辺。
周防国は、山口県東部。
波久岐国は、山口県山口市と宇部市・防府市の一部。
② 統合する国の中の中心的な国の名称のよみ方で名称の漢字表示を変えてる例
大和国(やまとのくに)(757年-)は、律令制移行時は、倭国(やまとのくに)、闘鶏国(つげのくに)、葛城国(かずらきのくに)の三国が統合して大倭国となり、後に大和国となった。
三河国(みかわのくに)(784年-)は、参河国(みかわのくに)、穂国(ほのくに)を統合して、参河国となり、後に三河国となった。
参河国は、安城市周辺。
遠江国(とおとうみのくに)は、遠淡海国(とおつおうみのくに)、久努国(くののくに)、素賀国(すがのくに)の三国を統合して、成立した。
播磨国(はりまのくに)は、針間国(はりまのくに)・明石国(あかしのくに)・針間鴨国(はりまかものくに)を、統合して成立した。
針間国は、加古川以西。
紀伊国(きのくに)は、紀国(きのくに)と熊野国(くまののくに)が統合されて、木国となり、後に紀伊国になった。
紀国は、和歌山県北部。
阿波国(あわのくに)は、粟国(あわのくに)と長国(ながのくに)が統合されて、粟国となり、後に阿波国になった。
粟国は、今の徳島県北部。
長国は、今の徳島県南部。
伊予国(いよのくに)は、伊余国(いよのくに)、久味国(くみのくに)、風速国(かざはやのくに)、怒麻国(ぬまのくに)、小市国(おちのくに)を統合して成立した。
風速国は、愛媛県中部。
小市国は、愛媛県東部。
土佐国(とさのくに)は、都佐国(とさのくに)と波多国(はたのくに)を統合して土佐国が成立した。
都佐国は、高知県東部。
波多国は、高知県西部。
③ 統合する国の中の中心的な国の名称のよみ方を少し変えて名称の漢字表示も変えてる例
駿河国(するがのくに)は、珠流河国造(するがのくに)、(いおはらのくに)を統合して成立した。
珠流河国造は、静岡県富士宮市、富士市、沼津市、御殿場市、裾野市周辺。
相模国(さがみのくに)は、相武国(さがむの国)と師長国(しながのくに)が統合して成立した。
師長国は、神奈川県大磯町、二宮町周辺。
近江国(おうみのくに)は、淡海国(おうみのくに)と安国(やすのくに)が統合され成立した。
淡海国は、滋賀郡周辺。
美濃国(みののくに)(713年-)は、額田国(ぬかたのくに)、本巣国(もとすの国)、三野前国(みののさきのくに)、三野後国(みののみちのしりのくに)、牟義都国造(むげつのくに)を統合して三野国となり、後に美濃国になった。
額田国は、岐阜県池田町周辺。
下野国(しもつけのくに)は、下毛野国(しもつけぬのくに)と那須国(なすのくに)が統合し、下毛野国(しもつけぬのくに)になり、後に下野国になった。
下毛野国は、栃木県南西部。
武蔵国(むさしのくに)は、无邪志国(むざしのくに)と知々夫国(ちちぶのくに)が統合して成立した。
无邪志国は、埼玉県と東京都の境界周辺。
知々夫国は、埼玉県秩父地方。
長門国(ながとのくに)は、穴門国(あなとのくに)と阿武国(あむのくに)を統合して成立した。
④ 統合する国とは、違う読み方漢字表示の令制国とした例
対馬国(つしまのくに)は、上県国(かみあがたのくに)と下県国(しもあがたのくに)を統合して成立した。
上県国は、対馬島の北部。
下県国は、対馬島の南部。
1869年(明治元年)、陸奥国と出羽国の分割及び北海道11国の新設が行われた。
しかし、律令制度の廃止とともに国司も廃止され、令制国は実質的に廃止された。