晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

日本旅行記、訪問記、滞在記の類いについて④

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一年前に、このタイトルで、 ハーバート・G・ポンティングの「英国写真家の見た明治日本」について、取り上げた。

ポンティングは、南極体験隊にも同行した職業写真家であり、日露戦争に従軍したことが縁で来日して、その後3年間日本に住んでいた。

原著は、全20章からなる大部であるが、訳本は半分の10章に削られていた。

私は、削られた章の中に、「日本の家と子ども」というのがあったことを知って、それが読みたくてしょうがなかった。

それで、ネットで原著を探して、archive.orgというサイトで見つけた。

とりあえず、必要な章をデスプレィに表示して、スマホで撮影した。

16ページほどだったので、あとで読もうと思って、そのままにしていた。

テキストファイルだったら、翻訳アプリでも使えるだろうが、それもできない。

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最近になって、それを思い出して、また図書館サイトを見ていた。

そうしていて、ファイルをダウンロードできることがわかった。

PDFファイルとEPUBファイルがあるので、さっそくダウンロードしてみた。

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この種類のファイルは、画像だけのものと、画像にテキストを埋め込んだものだあるが、これはテキスト入りのものだった。

テキストをコピーして、テキストファイルにすることができた。

訳本にのっているのは、次の章である。

第1章 東京湾 第2章 京都の寺 第3章 京都の名工 第4章 保津川の急流 

第5章 阿蘇山浅間山 第6章 精進湖と富士山麓 第7章 富士登山 

第8章 日本の婦人について 第9章 鎌倉と江ノ島 第10章 江浦湾と宮島

英語の原文と比べてみると、次の各章が削除されているように思える。

写真家の著書だけに、写真が100枚も収録されていて、500ページ近いボリュームである。

講談社学術文庫なので、ページを調整せざるを得なかったのだろう。

どのような基準で、それを行なったかはわからない。

1 The Last Days of Feudalism             3 The Flower Festivals of Tokyo

5 The House and the Children            7 MiYANOSHITA AND LaKE HaKONE

10 Nikko and Chuzenji                          11 Matsushima and Yezo                    

15 Uji AND THE Fireflies                       16 Nara—THE Heart of Old Japan     

17 The Rapids of the Katsura-Gawa  18 Hikone and its Castle

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“5 The House and the Children”が、私が読みたかった「日本の家と子ども」であるようだ。

今まで、いろんな人の日本訪問記や滞在記を読んでみたが、面白いなあと思うのは、日本の子どもについての記述である。

どうも、日本における子どもと大人の関係は、他の国々とは違ったものがあるらしい。

子どもに対する、教育やしつけ方が日本独自であるらしく、だいたい誰でもそのことを書いている。

日本人である私にとっては、何がどうして、という感じで不思議である。

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翻訳アプリを探してみた。

Yahoo!翻訳というのもあったと思うが、いつの間にか無くなっていた。

とりあえず、「グーグル翻訳」でやってみた。

ところどころに、理解不能な部分もあるが、なんとか意味はわかる。

しかしながら、文章としては微妙である。

なぜか、家と子どもについて、同じ章で述べられている。

 

日本の家については、畳、火鉢、障子、布団などについて説明している。

畳については、こんな感じである。

日本人は人生の大部分を畳に費やしています。彼は彼らの上に生まれます。彼らの上を歩きます。彼らの上に座ります。彼らの上で食べます。彼らの上で眠ります。そして彼らの上で死にます。彼らはすぐに床になります。テーブル、椅子、そして日本の寝台、そしてそれ自体は、彼らが日常的に密接に接触する人々の性格の多くを反映しているので、通知を通過する以上の価値があります。

原文は、次のとおり。

The Japanese spends the greater part of his life on tatami .He is born on them walks on them sits on them eats on them sleeps on them and dies on them .They are at once the floor the table, the chairs, and the bedstead of Japan, and as such are deserving of more than passing notice, for they reflect much of the character of the people with whose life they come into such close daily contact.

 

来日した方々の文章を読んでいると、日本の子どもについて書いてあることに共通していることがある。

日本の子どもの方が、(私たちの)の子どもよりも、堂々としていて、しぐさが優雅であり、大人のようである、というようなことを言っている。

初めてそれを読んだときに、少し驚いた。

ヨーロッパの方が、一人の人として自立するのが早いのでではないかと思っていたからだ。

どうも、ヨーロッパでは、子どもは子どもあつかいして育てるので、大人になるのが遅いということらしい。

日本では、小さいころからひとり前扱いして育てていることに感心している。

ポンティングは、明治時代に来日した人であるけれど、戦国時代に来日した宣教師などの記録でも、同じようなことを述べている。

考えてみると、日本では元服などのように、10代半ばくらいで大人になり、結婚も早かったので、早く一人前になるように育てていたのだろうか。

それが、もしかすると、最近外国人が驚く、子どもが一人で買い物したり、電車に乗るのは当たり前ということにつながってるのかな。

これは、治安がどうとかではなくて、そういうふうに育てていて、まわりもその目で見ていて、見守っているということかもしれない。

それでいて、大人がいつも子どもといっしょに、同じ目線で遊んでいると言っている。

 

老人は彼ら自身がかつて若かったことを決して忘れません。そして若者は年齢のために本能的に神聖に見えます。相互の配慮と礼儀があります。幼児期から日本の子供たちは自己抑制が最大の美徳の1つであると教えられています。そしてこの教えは多くのヨーロッパ人の苛立ちのすべてのクラスの中で完全に欠如していることを示しています。

すべての街路はゲームをしている若者でいっぱいです。子供たちがそれをしているだけでなく年長者も参加しています。父と母は若い人たちと同じように陽気に遊びに来ます。

日本が子供の楽園であることは、陸地に到着した時間から明らかです。通りすがりの交通量に関係なく、コミカルな小さな人々が通りを歩き回っています。

 

そして、おもしろい観察と感想を残しています。

小さい子が、赤ちゃんをおんぶしている姿です。

うんと小さい子は、人形をおんぶしてたな。

もうそんな光景も見ることがないけれど、私の姉も小学生の頃に近所の赤ちゃんをおんぶしていたのを、思い出した。

 

やわらかい年の日本人の子供たちが赤ちゃんを背負って走り回る様子は、外国人が最初に気づいたことのひとつです。数ヶ月の赤ちゃんを、公道で4歳の子供に信頼するのは無謀なことのようです。 それでもこれはどこでも見られるかもしれません。すべての子供は歩き始めた時から別の子供を運ぶように訓練されています。 2歳で背中に大きな人形が結ばれ、人形は大きな人形に置き換えられます。

幼い頃から、日本の赤ちゃんはすべてのゲームで兄妹と付き合っています。したがって、他の土地の赤ちゃんがまだ揺りかごで遊んでいるときに、彼らは彼らの周りのすべてに知的な関心を育んでいます。

 

おんぶしている子どもだけではなく、おんぶされている子にとっても、社会勉強だというのは考えたことがない視点だった。

外からの視点で見ないと、気がつかないことがある。

変わってしまったこともあるだろうし、変わらずにそのままなこともあります。

どんなところが、どうして変わったのか、変わるにはそれなりの理由があるだろう。

それをしっかり考えて、自覚することは大事だと思う。

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読んでみたかった「家と子ども」の章は、読んでみた。

残りの章は、ゆっくり読んでいこうと思う。

今回思ったことは、日本でも著作権保護期間の過ぎた古い著作について、公的な図書館がライブラリとして公開し始めている。

しかし、ほとんどは、たんに画像をデスプレィで閲覧できるに過ぎない。

PDFやEPUBなどのファイルで、ダウンロードできる図書館はほとんどない。

しかも、テキストを埋め込んであるのは、すばらしいことである。

テキストが埋め込んであれば、古い書籍を読みながら、文字検索もできるのである。

利用する可能性が、とても広がることになる。

日本にも、こういうサービスがあって欲しいものである。

私の知る範囲では、まだ存在していない。

 

 

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