孫娘たちが手賀沼公園に行くのに、いっしょに行った。
手賀沼公園は、いつ行っても小さい子ども連れの家族でいっぱいだ。
公園には、小さい子用の遊具がある子ども広場がある。
それだけではなく、「あゆみの郷鉄道」と名付けられた大人と乗れるミニSLもある。
SLも、デーゼル、メルヘン、新幹線と種類が揃っているらしい。
サイクリングコースがあるので、レンタサイクルもあるし、スワンボートや遊覧船にも乗ることができる。
長男が、スワンボートに乗ろうと孫娘を誘っていたが、乗ろうとしない。
孫娘はかなり慎重派で、やったことのないものには近寄ろうとしない。
結局、遊具のすべり台で少し遊んで、それから水辺にいる白鳥やカモの方に行った。
水辺には、白鳥やカモがたくさんいて、子どもたちがいても平気である。
ときどき、水にクチバシをつっこんで、何かを食べている。
孫娘は、興味深そうにそれを見ている。
私は、ときどきスマホを取り出して、風景の写真を撮っていた。
そういえば、「手賀沼カレンダー」というのが、ずいぶん前から発行されている。
来年分は、もう発売されているのかもしれない。
クリーン手賀沼推進協議会という団体が、毎年「手賀沼写真コンクール」を開催して、その参加作品からカレンダーを作成している。
今回で、36回目なのだそうだ。
手賀沼は、絶好の写真スポットである。
私のように、ちゃんとしたカメラを持たなくても、つい写真を撮ってしまう。
湖面だけでなく、花もあるし、水鳥もいる。
朝夕で、表情が違う。
そして、春夏秋冬の四季がある。
昭和51年(1976年)に、私は就職して、我孫子駅から徒歩3分ほどのところに、転居した。
我孫子駅から、駅前の通りを3分ほど歩けば、国道356号成田街道で、それを渡って10分ほどで手賀沼湖畔の手賀沼公園に出ることができる。
アパートから10分くらい歩くと、「楚人冠公園」というのがあって、そこからは眺めが良かったので散歩コースだった。
楚人冠公園は、朝日新聞記者だった杉村楚人冠を記念したもので、武者小路実篤や伊賀直哉などとともに、我孫子に住んでいた文人の一人である。
私が我孫子に住んでいたのは一年半くらいで、そのあと柏市そして松戸市に転居したが、勤務先は15年間我孫子市だったので、手賀沼は身近だった。
手賀沼は、昭和47年から平成12年まで日本で最も汚濁された湖沼だったのだという。
私が住むことになる昭和51年には、すでに不名誉な記録で知られていた。
転居してくる前に横浜に住んでいたが、自宅のすぐ近くを流れていた鶴見川はその頃日本で最も汚濁した河川といわれていた。
手賀沼も、昭和20年代は沼の底が見えるくらいきれいで、子どもたちが夏は泳いでいたということは聞いたことがある。
それが、下水道が充分に整備されないままに住宅開発が進み、生活排水が流れ込み、手賀沼は汚染された。
たしかに、手賀沼は汚染された湖沼だったかもしれないが、私は手賀沼は、千葉県北西部「東葛飾」の宝じゃないかな、と思っていた。
利根川と江戸川に挟まれて、しかも手賀沼があるというのは、この地域の大きな魅力になっている。
がんばって歩けば、手賀沼まで行けるということは、自分が恵まれているということになるだろうから、感謝しなければならないかもしれない。