晴耕雨読    趣味と生活の覚書

  1953年秋田県生まれ。趣味は、山、本、音楽、PC、その他。硬化しつつある頭を柔軟にすべく、思いつくことをなんでも書いています。あわせて、江戸時代後期の紀行家菅江真澄の原文テキストを載せていきます。

読書の時間

郵便局に用事があって、出かけた。

自宅から郵便局まで、歩いて5、6分である。

帰りに、近隣センターの中にある市立図書館分館に寄ってみた。

自宅から2分ほどなので、行こうと思えばいつでも行ける。

難点は、閲覧スペースが狭いことである。

6人掛けくらいのテーブルと、3人掛けくらいのソファだけだったのだが、コロナ禍になってからは、テーブルだけになってしまって4人掛けである。

そのせいもあって、しばらく足が遠のいている。

 

テーブルには誰もいなかったので、書棚に近い席に座った。

その席は、右手ちかくに書棚があって、宗教関係の書籍が並んでいる。

さらに、右隣りの書棚は「郷土関係」で千葉県や柏市関係のものが並んでいる。

柏市史」や「沼南町史」も、ここにある。

宗教関係の書棚を見ていると、神道関係の本が目についた。

五木寛之さんの「百寺巡礼」のシリーズも並んでいた。

五木寛之さんの著作は、ひと頃よく読んだのだが、このシリーズは読んでいない。

日本国内が10巻、海外が6巻も出版されているのだという。

どうも、テレビ番組の放送とと並行して紀行文も書かれていたものらしい。

 

その下の段に、気になる本があった。

「私の家族の明治日本」というジョアンナ・シェルトンという方の著作だった。

翻訳者が、滝沢謙三 滝沢カレン・アンとなっていて、滝沢カレンというどこかで見たような名前に反応したのが、正直なところである。

手にとってみたら、滝沢カレン・アンとあるように、まったくの別人だった。

「まえがき」を読んでみて、話につりこまれてしまいそうになった。

さっそく、借りて帰ろうと思ったが、思い直した。

図書館に通って、読むことにした。

家で読むと、寝転がって読んでしまう。

図書館で座って、一章くらいずつ読むことにしようと思う。

 

作品紹介では、このように始まる。

「いまから140年前、ひとりのアメリカ人宣教師が海を渡って日本にやってきた。
トーマス・セロン・アレクサンダー、27歳。通称トム。
西南戦争が終わった年の秋、トムは横浜港に降り立った。傍らには、半年前に結婚した妻・エマがいた。」

アメリカのモンタナの農家で育った若い夫婦が、明治の日本で宣教師としての生活を始める。

迫害、病気、貧困に直面しながら、多くの学校の設立に関わり、52歳で亡くなる。

著者のジョアンナ・シェルトンは、故郷のモンタナで曽祖父の手記を読み、日本に来るたびに曽祖父の遺産である教会や学校を訪ね、資料を集めたのだそうです。

 

私が、図書館に通って本を読もうとなどと考えるのは、歩いて2分というように立地に恵まれているからだ。

柏市は、近隣センターという出先の建物に図書館分館があり、本館と子ども図書館を入れて、18ヶ所の図書館がある。

これは、どこに住む人も歩いていけるとは言えないだろうが、私のような高齢者や子どもにとっては、ありがたいことだと思う。

近隣の市ではどうなっているか調べてみたのだが、我孫子市流山市鎌ヶ谷市野田市などでは、せいぜい本館分館合わせても、4から8ヶ所くらいである。

松戸市は、本館分館合わせても22ヶ所となっていて、柏市に近い状況だ。

これだけの、組織施設を維持するのは地方自治体としては、財政的に困難があるだろうが、市民に対するサービスの面から考えれば、充分に価値のあることだと思う。

 

 

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